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トップページ原爆の絵全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。

原爆の絵

識別コード NG275
絵の内容 全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。
作者名(カナ) 原田 勇(ハラダ イサム)
作者名(英語) Isamu Harada
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15
情景場所 比治山橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,710m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
昭和20年8月6日 8時15分
広島市比治山橋前路上。(原田 勇)

**別紙
NHK広島           
平成14年7月15日
広島市中区大手町2-11-10  
NHK広島原爆の絵係
前略
NHKのテレビ拝見、NHK広島原爆の絵を募集中との事で、ここに自分が被爆した経験をもとに描いてみました。当時の状況も以前書き置いたのをコピーして送ります。戦争を知らない子供達が見て理解してくれれば幸いです。
草々被爆場所:広島市比治山町
氏名:原田勇
この絵の場面と情況について。
地獄の中の避難逃亡
さて、三人で逃げるのであるが、現場の前は比治山橋があり、その橋のらんかんは、すでに破壊され、川に落ちたり、橋の上に崩れ落ちており、沢山の人間が橋の上で被爆して死んでいる、又は、川の中に吹き飛ばされていた。
ふと、右側を見ると、比治山方面行きの市内電車が止まって、延焼中で、すでに、車体は半分なかば破壊されて窓や座席から、真っ黒に焼け焦がれた人間がぶら下がり、路面にたたきつけられたり、電車に乗っていた人々全員は一瞬にて死亡し、それはそれは、悲惨な人間の死に絶えた状態でした。それから、僕の目の前に大の人間が仁王様のように立って、すこしずつ、足をひこずりながら、こちらに向かって来るではないか、僕は中学2年で1メーター40センチぐらいで、まだ小柄な生徒であったので、それはそれは大きな仁王様のような人に見えました。本当に悲惨な状態でした、身にまとっている物は下着のフンドシと片足にちぎれたゲートルを付け、あとは全部ハダカで、からだ全身が焼けただれ衣類ともども焼けただれ、顔も真っ赤にふくれ上がって、片目が飛び出ていました。悲惨で見ていて、どうする事もできず、本当に悲しいことでした。しかも、この人の背景には、真っ白で巨大な雲と燃えさかる建物の炎が燃えさかり、市内の中から、まだまだ、多くの大人も子供も同じような状態で、人々がこちらに逃げてくるのでした。
「皆、よいか、早く安全な場所に逃げろ!」「怪我をしてる者も一緒に助け合うてにげろ!」日高先生の叫び声で、僕達三人は無我夢中で、その場から、飛び出し建物の燃える火の中をくぐり抜け、一体どのようにして、逃げまわったか分からず、気がついて見ると、向洋の丘のふもとにたどり着いていました。三人は丘にあがり、唖然とした状態で、延々と燃えている広島市内を眺めながらいました。
サイズ(cm) 24.2×34.4
展示の説明文 片目がとび出た男がこちらに向かってくる
爆心地から1,700m、比治山橋
1945(昭和20)年8月6日
原田 勇(原爆投下当時14歳、絵を描いた時71歳)
絵中解説
比治山方面行きの市内電車が止まって延焼中。すでに車体は半ば破壊され、窓から真っ黒に焼け焦げた人間がぶら下がり、路上にたたきつけられている。電車に乗っていた人々全員は一瞬にして死亡。
目の前に男が仁王様のように立って、少しずつ少しずつ足をひきずりながらこちらに向かってくる。身にまとっている物は下着のフンドシと片足のちぎれたゲートルだけで、あとは全部裸で全身が衣類ともども焼けただれ、顔も真っ赤にふくれ上がって、片目がとび出ていた。

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