トップページ原爆の絵とっさに伏せたが、すでに顔・手・首・足をやけどし皮膚がたれ下がった。直後に爆風におそわれた。
識別コード | NG273-02 |
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絵の内容 | とっさに伏せたが、すでに顔・手・首・足をやけどし皮膚がたれ下がった。直後に爆風におそわれた。 |
作者名(カナ) | 森下 弘(モリシタ ヒロム) |
作者名(英語) | MORISHITA Hiromu |
当時の年齢 | 14歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:15 |
情景場所 | 鶴見橋西詰 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,650m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **絵の中 (2) 森下 弘 8月6日、8時15分 爆心から1.5km鶴見橋西詰で家屋疎開作業前。 私たち広島一中三年生(14歳)70名は、整列して(北向きに)作業上の注意を聞いていた。 爆発!巨大な溶鉱炉にすっぽりと投げこまれた感じ。 とっさに伏せたが、すでに顔、手、首、足を火傷。 皮膚がたれ下った。 そして、爆風がサーッとその瞬間、一緒にいた70名が、一人以外はどうなったか知らない。 後日の話で、アンケートで地上にたたきつけられた者、数米吹きとばされた者、気を失った者、みんなが将棋倒しに圧しかぶさって、息がつまりそうだったと言う者 火傷馬が暴れていて怖かったと言う者・・・さまざま。 想像して描いてみた。 **別紙 被爆者が描く「原爆の絵」 森下弘 (71才) 被爆場所 爆心より一・五キロメートル 鶴見町 鶴見橋西詰 建物疎開の家屋とり壊し作業に続いて二回目の作業(材木・瓦等…の整理)にかかる前、作業上の注意、指示を受けていた。 (コメント) 東洋工業(学徒動員)から、八月六日は、再動員の形で、疎開作業現場に出動していた。広島一中三年生(うちの三組、さらにその半数の生徒の私たちは、四列縦隊に整列して、M兵器部長の指示を聞いていた。 (1)突如、一・五キロ左前方(北西)の爆心で原爆が炸裂、巨大な溶鉱炉にすぽっと投げこまれたよう。 (2)私は平素の指示どおり、目と耳を手で覆って地面に伏して息を吐き出した。が、閃光と熱線ですでに大火傷し、間髪を入れず爆風が…。同じような動作をした友もいるようだが、私はその瞬間、その場でほかの七十名がどうなったか全然知らない。一瞬、私も気絶していたのかも知れないし、四散したかも知れない。その後、川に降りて、一名の友とだけ会った。彼も顔・手の皮膚がぼろ布のように垂れ下っていた。昭和四十九年、級友たちにアンケートし、また集まりを持って、その折の状況をくわしく聞いた。それを基に(2)を描いてみた。ただ刻々と変化する様。見聞をどう表現するか、今後、時間とエネルギーが許すなら、絵巻物風に展開してみたいが…。 ((1)(2)下書きのつもりで表裏に描いていましたが、そのまま時間切れになりました。すみません。) |
サイズ(cm) | 37.8×53.8 |
展示の説明文 | 爆心から1.5kmで家屋疎開作業前。私たち広島一中三年生(14歳)70名は、整列して作業上の注意を聞いていた。爆発!巨大な溶鉱炉にすっぽりと投げこまれた感じ。とっさに伏せたが、すでに顔、手、首、足を火傷し、皮膚がたれ下った。そして、爆風がサーッとその瞬間、一緒にいた70名が、一人以外はどうなったか知らない。 |