トップページ原爆の絵避難場所をめざして歩くが、空腹とのどの渇きで苦しかった。母が畑からトマトをもぎ食べさせてくれた。
識別コード | NG266-03 |
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絵の内容 | 避難場所をめざして歩くが、空腹とのどの渇きで苦しかった。母が畑からトマトをもぎ食べさせてくれた。 |
作者名(カナ) | 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) |
作者名(英語) | Hirotaka Enjo |
当時の年齢 | 8歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **別紙(絵裏に貼付) 原爆の日の一日 練兵場の防空壕を出て避難場所のお寺のある、中野村を目指して、太陽の照りつける炎天下暑い道を素足で歩き続ける、傷だらけの逃げる人達も同じ方向に向け進んで行きました。 ここに絵に描いた情景の場所の町名は正確には思い出せませんが、農道のような所で道端の両側にトマト、キューリ、西瓜畑で葡萄棚もありました。空腹と喉の渇きで身動きも苦しい状態でした。母が畑からトマトをもぎ食べさせてくれた事が走馬灯のように思い浮んできます。 |
サイズ(cm) | 26×36.1 |
展示の説明文 | 避難場所を目指して 1945年(昭和20年)8月6日 煙上 博隆 (原爆投下時8歳、絵を描いた時65歳) 【作者のことばから】 練兵場の防空壕を出て、避難場所のお寺のある中野村を目指して、太陽の照りつける炎天下暑い道を素足で歩き続ける。傷だらけの逃げる人たちも同じ方向に向け進んでいきました。 |