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トップページ原爆の絵敵機が来て母が私たちを防空ごうに押し込んだ。中はやけどした負傷者がいっぱいで街は火の海だった。

原爆の絵

識別コード NG266-02
絵の内容 敵機が来て母が私たちを防空ごうに押し込んだ。中はやけどした負傷者がいっぱいで街は火の海だった。
作者名(カナ) 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ)
作者名(英語) Hirotaka Enjo
当時の年齢 8歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 東練兵場
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 光町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **別紙(絵裏に貼付)
 原爆の日の一日
避難の途中的場町荒神橋を渡る所では、全身火傷皮膚は爛れ痛々しい人が欄干を乗り越え川に身を投じる姿は、熱さと苦しさに耐え切れず飛び込んだと思います。
広島駅近くの東練兵場にさしかかった時に、敵機が来たといって母が慌てて私達を防空壕に押込だ事を思い浮びます。壕の中は薄暗く足元には泥水が膝近くまであり、狭い中には、火傷の負傷者で一杯で恐さで死ぬ思いでした。壕から見る街は燃え盛る火の海だった。私は逃難中で一番心に残ってる光景だった。
サイズ(cm) 36.1×26
展示の説明文 やけどの負傷者でいっぱい

爆心地から2,300m 東練兵場
尾長町 (現在の光町)
1945年(昭和20年)8月6日
煙上 博隆 (原爆投下時8歳、絵を描いた時65歳)

【作者のことばから】
東練兵場にさしかかった時に、敵機が来たといって母が慌てて私たちを防空壕に押し込んだ。
壕の中は薄暗く足元には泥水がひざ近くまであり、狭い中には、やけどの負傷者でいっぱいで恐さで死ぬ思いでした。
壕から見る街は燃え盛る火の海だった。

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