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トップページ原爆の絵柳の大木は枝が引きちぎられ幹は焼け焦げていた。瓦礫の下や柳の根元には多くの友だちが倒れていた。

原爆の絵

識別コード NG264-01
絵の内容 柳の大木は枝が引きちぎられ幹は焼け焦げていた。瓦礫の下や柳の根元には多くの友だちが倒れていた。
作者名(カナ) 八木 義彦(ヤギ ヨシヒコ)
作者名(英語) YAGI Yoshihiko
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/8
情景場所 白島国民学校
情景場所旧町名 東白島町
情景場所現町名 東白島町
爆心地からの距離 1,400m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **裏
八木 義彦
**別紙
私は昭和二十年八月六日、白島国民学校で被爆しました。
当時四年生で夏休みながらその日は登校日で、北側の校舎二階にいて一瞬に崩壊した木造の校舎から、辛うじて逃げ出し九死に一生を得たのです。
そのまま母親の郷里の高田郡三田村へ避難しました。
翌々日の八日早朝から、親兄弟の消息を求めて市内に出掛けて目にした惨状です。
八月六日当日登校していた学校の校庭を描いた一枚。
校舎は完全に倒壊し瓦礫を残して全焼していました。まだ後片付けも手付かずのままで、校庭の真ん中K学校のシンボルだった柳の大木は、枝が引き千切られ幹は焼け焦げていたのです。
瓦礫の下や柳の根元には、六日の朝まで元気に校庭で遊んでいた多くの友達が黒く焼け爛れた骸となり、折り重なるように倒れていました。
焼け残りの木材とも、炭化状態になった骸とも見分けができない酷さなのです。
それでも遺体と区別できたのは被爆二日か後にもかかわらず、すでにハエが発生していて、遺体には多くのハエが止まっていて判別ができたのです。
地獄の絵図でもこれほど残酷ではないでしょう。とても正視に耐えられる光景ではありません。
八木義彦
サイズ(cm) 19.5×28.7
展示の説明文

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