トップページ原爆の絵バスの中は傷ついた若い女性でいっぱいだった。田舎道を走るバスがゆれるたびに悲鳴やうめき声があがった。
識別コード | NG261 |
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絵の内容 | バスの中は傷ついた若い女性でいっぱいだった。田舎道を走るバスがゆれるたびに悲鳴やうめき声があがった。 |
作者名(カナ) | 賀川 里子(カガワ サトコ) |
作者名(英語) | Satoko Kagawa |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 被爆女性(河内駅より豊栄行きのバスの中) |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 被爆した乙女の姿 生涯私の心の中から消えません 合掌 懸命に共に生きた青春の友よ さとこ 78才 **別紙 広島に原爆が投下された時、私は大和町の田舎に勤めておりました。周囲は山でかこまれた静かな農村でさえすごい爆風と閃光を受け、皆んな棒立ちになって外に走って出ました。同僚の方が広島で被爆されましたのでお見舞いに翌日山陽本線の河内駅より東廻り豊栄行きのバスに乗りました。そのバスには原爆で傷ついた同年代の女性の方達で一杯でした。皮膚は焼けただれ、灰色にはれあがって血が流れていました。どうする手だてもありません。田舎を走る「おんぼろバス」は「ガタ、ガタ」道に揺られながら傷ついた乙女達の悲鳴の声が呻き声が痛いよ痛いよと訴えていました。私は揺れるバスの中で身体を硬くしてその方達にあたらないようにするだけで何もしてあげられませんでした。バスの終点から児玉外科病院まで二kの道端は戸板や竹でつくられた担架が両側にぎっしりと並んでいました。反対方面の道路も同じことです。被爆した方は外傷の無い方でも髪の毛が抜けて亡くなりました。私は只合掌して御冥福をお祈りするばかりです。私の心の中から消えない絵を描きながらも涙がこぼれます。残り少ない人生ですが懸命に生きて参ります。 合掌 賀川 |
サイズ(cm) | 34.5×67.3 |
展示の説明文 |