トップページ原爆の絵多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。
識別コード | NG257-01 |
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絵の内容 | 多くの負傷者を前に食べ物を口にする暇もなく治療にあたる。 |
作者名(カナ) | 服部 道子(ハットリ ミチコ) |
作者名(英語) | Michiko Hattori |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 陸軍教育船舶団司令部 |
情景場所旧町名 | 仁保町丹那 |
情景場所現町名 | 丹那町 |
爆心地からの距離 | 3,800m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **別紙 被爆者が描く『原爆の絵』作品募集について 私は、東京で育ちましたが、父が広島船舶通身隊16710部隊の幹部候補生に通信教官として、勤務してたので、女学校卒と共に看護科を学んでいた関係で、仁保町丹那にあった教育船舶団司令部6167部隊の軍医部に採用僅か二ヶ月で、「原爆」を、受けたのです。三日三晩、飲まず、食わずの、救護活動でした。『あの日』死にたくなかった、生きていたかったろう、多くの非戦闘員達、殺されたのでした。父も七ヵ月後原爆病で、云うに言われぬ悲惨な死に方で、この世を去りました。家族皆放射線病に冒され苦難苦労の連続でした。よくぞ五十七年、生長らえてきたものです。 今 埼玉県原爆被害者協議会のお手伝いをさせていただいております。 この絵はわたしが、看護手当をしている光景ですが、絵ごころがないので、もっともっと表現実際場面を描きたいのですが残念でたまりません。 氏名 服部道子 |
サイズ(cm) | 29.8×42 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕要約 三日三晩飲まず食わずの救護活動 軍医部に採用されてわずか2カ月で、「原爆」を受けたのです。三日三晩飲まず食わずの救護活動でした。 3,800m/陸軍教育船舶団司令部 服部 道子 |