トップページ原爆の絵ピカッと光ったので外を見ると空に丸い真っ赤なものが浮いておりそれが煮えくり返っているように見えた。
識別コード | NG255 |
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絵の内容 | ピカッと光ったので外を見ると空に丸い真っ赤なものが浮いておりそれが煮えくり返っているように見えた。 |
作者名(カナ) | 小林 清子(コバヤシ キヨコ) |
作者名(英語) | Kiyoko Kobayashi |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 安佐郡口田村矢口 |
情景場所旧町名 | 安佐郡口田村 |
情景場所現町名 | 安佐北区口田南 |
爆心地からの距離 | 7,800m |
ブロック別 | |
作者による説明 | **別紙 原爆の一日 二十年八月六日 矢口 口田小学校 長女は草別でかごをおぶって学校へ行きました。其の日兄さんの長男は頭が痛いと言って学校を休んで居ました。八時頃私は奥の部屋でぬいものをして居たらピカァ おかしいな、この天気にイナビカリでもないと思いトッサに裏エンに顔をのぞかせましたら、広島の空にまん丸いお日様のようなまっ赤なまるの中、お湯がにえくりかえっているようでした。あ、早くと言って寝て居た赤ちゃん(三男)をかかえてすぐ防空壕に走りました。すると長男が一人で走って来たので赤ちゃん(三男)をおいてもう二男子供が寝て居たのをつれにかへり其子をかかえ土間に下りようとしたらドカンと大きな音がして畳が飛び上り建具が倒れ、棚の物がおちて来た。 子供を防空壕にはいらせ、おそるおそる壕よりのぞくと、なばのような雲になって居ました。子供を防空壕におき、おにぎりを持って行ってやって、子供はそこに居る用にいって家をかたづけて居ました。 家をかたずけて子供を帰らせた。 主人は徴用で祇園の三菱に行って居た。主人が二時頃帰って来ました。そして私を見るなりあ、お前やけどをしていると言い、私は左の顔がいぢりかゆい、かけばべたべたするようなと思っていましたが、するとだんだんべたべたになり黄色いうみが出て来るようになりました。夕方回覧がまわって学校に人を収容してあるので婦人の人は出て来るようにとの事。裏のおばさんと交替に子供の守をして交替に出る事にしました。行って見るとほんとに見るかげもない男の人が女の物を着ていたり、女の人が男のを着たり、ほんとに顔を見てもわからない。顔も手も足も紫色にはれ上りほとんど目も見えないくらいでした。学校の校舎に、入りきれないほどの人、子供をつれた人、其のみじめさ口に言いあらわす事が出来ません。五日間の間に半分居なくなり、次々と死んで行きました。来られた時名前を言った人は所と名がわかるようにして居ましたが、言わなかった人は其のまま無名になりました。傷口はスイカが腐ったようにはれており、夏の事とて其の中にウジがわいて居る。それを自分でほり出していた人も居ました。何しろほうたいも無し薬も無く、どうしてあげる事も出来ませんでした。部屋に入ると何とも言いようのないにおい。すそをまくり上げないとのみは足にはい上ってくるし、私らはおかゆをたいて持って行って食べさせて上げるのが精一杯でした。 |
サイズ(cm) | 40.6×29.6 |
展示の説明文 |