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トップページ原爆の絵きのこ雲。部隊が駐屯していた学校の玄関を出ようとした時、突然上空が光った。

原爆の絵

識別コード NG253
絵の内容 きのこ雲。部隊が駐屯していた学校の玄関を出ようとした時、突然上空が光った。
作者名(カナ) 薄 栄助(ウスキ エイスケ)
作者名(英語) Eisuke Usuki
当時の年齢 28歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15頃
情景場所 広島県松本工業学校
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 山根町
爆心地からの距離 2,950m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
昭和20年8月6日午前8時15分、広島市尾長町旧私立松本工業学校にて被爆した(きのこ雲)
**別紙
昭和二十年八月六日午前八時十五分頃、突然、上空が光った。場所は広島市尾長町私立の松本工業学校に駐屯して居た。学生は不在で私等部隊は假住居して居た。私が公用で暁部隊へ行こうと学校の玄関を出ようとした時に光った。「こりゃ大変爆弾だ」と思って飛び出て校庭に防空壕があったのでそこへ入った。暫く入っているうちに火傷した人、怪我した人が入って来た。外では婦女子の泣き叫ぶ声。いつまでも入って居るわけにもゆかず外へ出たら、校舎は倒れ校庭に被災者が大勢集ってさわいで居た。
私は幸い、どこも怪我はせず直ぐに糧秣、被服、諸道具を取り出してトラック一台とリヤカー一台しかないのでどうにもならない。兵隊は少し位の火傷や怪我はして居るが氣が立って居るので一生懸命に動いて居た。幸いに東方の山手の方へバラック建て五六棟建てておいたのでそこへ避難したが、被害者が一杯になってしまった。屋根と廻りへシートを張って一時しのぎであった。夜昼となく被災者の看護や部隊の使役で終る。その内に毎日の様に死者が出る。山手の方へ壕を掘って假埋葬をする。名前の判かる者は名札を立てる。毎晩の様に不寝番や使役に追われて疲れ果ててしまう。広島市は火の海となって三日も燃え続けていた。そうこうして日が過ぎてやがて終戦になり八月三十一日召集解除になって、窓ガラスのない各駅停車を乗り継ぎ乍ら復員した。
あれから五十七年被爆者生活を続けています。
同封した絵は拙ないですが会津保健所からの文書で応募してみました。


平成十四年七月十三日(土)
サイズ(cm) 42×27
展示の説明文

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