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トップページ原爆の絵家がゆれ何事かと外に飛び出すと山の上に雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいた。

原爆の絵

識別コード NG249-03
絵の内容 家がゆれ何事かと外に飛び出すと山の上に雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいた。
作者名(カナ)
作者名(英語)
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15
情景場所 高田郡本村
情景場所旧町名 高田郡本村
情景場所現町名 安芸高田市
爆心地からの距離 37,600m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
原爆忌一握りの雲 昭和20年8月6日 青天 8時15分
この雲の固りは生涯私の脳裏から消えることはありません
**別紙
原爆忌一握りの雲
昭和20年8月6日青天。その日は御先祖様の命日で、お寺様が参っておられました。御仏前で読経の声、一同手を合はせ拝んでゐます。戰時中と思へない靜かなひと時でした。8時15分ピカッ ドーン ガタヽと家がゆれました。突然のことなので何ごとかと息を止めたゞ事ではないとみんなすぐさま外へ飛び出しました。すると右向うの山の上に一握りの雲の固りがポッカリと浮んでゐます。お菓子のシュウクリームそっくりです。長いことお目にかゝることも無いシュウクリームです。思わずアッおいしそうなシュークリーム何だろう。上根の飛行場に爆弾?その日も本村からも(今の美土里町)多勢の人が勤労奉仕で飛行場に行ってました。丁度その日夫は、下痢がひどく休みました。爆弾にしてはおかしい。不思議な雲は少しづゝ少しづゝ大きくなって日本カボチャに。アッカボチャになったガヤヽ。夫急ぎカメラをとりにゆく。又少しづゝ下がふくらんできて、お美味そうなマツタケになった。わぁ、マツタケになった、何だろうゝと云ふ内に雲は少しづゝ少しづゝ大きくなりキノコ雲に。新兵器爆弾ではないかと話し合った。キノコ雲は次第に大きくなり今度はムクヽと雲の形ちが変り大きくゝなって、上と、下へと広がっていった。スローモーションの映画を見てゐる様でした。雲の下は阿鼻叫喚の生地獄とも知らづ罰あたりなことです。杖をついて逃げて行く父の姿、亡くなった叔母、病院の先生、魚屋のおじさん、腰がヌケて歩けなくなった小学生の子供、色々話を聞いて胸が痛みます。家の下敷きになった人、足の立たなくなった人、多くの人が助ケテゝと叫んでゐます。逃げる人も必死です。逃げる人は皆んなこらえて下さいゝと手を合せ乍ら日赤の方へ逃げて行きました。反対方向へのがれた人達は全滅とのことでした。思ひ出す度に、体が震るえます。夕方より被災者の人達がつぎゝと歩いて帰って来られた。広島がなくなった。横川から宇品が見えると聞いて信じられなかった。私の父は妹二人に助けられ乍ら芸備線に乗り、吉田口より歩いて、七日夜、本村に着きました。NHKの近くの小町に住んでゐたのでよく助かったと神仏に感謝しました。割と元気で孫達を相手に遊んでゐましたが八月十九日原爆症で亡くなりました。小町に住んでゐた人は一人も助かった人はいません。助かった人も全員原爆症で亡くなられたそうです。皆様の御冥福をお祈りしてゐます。拙い文で失礼とは思いましたがテレビの呼びかけに思いきって筆をとりました。だんゝ記憶も薄れますが一握りの原爆の雲だけはハッキリ腦裏に焼きついています。生涯忘れる事はないでしょう。恐ろしいことです。失礼致しました。
7月15日
「原爆の繪」係御中
サイズ(cm) 25.7×18.1
展示の説明文

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