トップページ原爆の絵山では飛び火であちこちで火災が起こっていた。やけどした女の子を助け可部線沿いを歩いた。
識別コード | NG247-03 |
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絵の内容 | 山では飛び火であちこちで火災が起こっていた。やけどした女の子を助け可部線沿いを歩いた。 |
作者名(カナ) | 砂田 房子(スナダ フサコ) |
作者名(英語) | Fusako Sunada |
当時の年齢 | 19歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 打越町・山手川付近 |
情景場所旧町名 | 打越町 |
情景場所現町名 | 打越町 |
爆心地からの距離 | 2,000m |
ブロック別 | 三篠・祇園地区 |
作者による説明 | **絵の中 (6.)陸軍病院の兵士 痛いよー痛いよー 線路づたいに帰ろうね 天満川 お母さんお母さん 痛いよー痛いよー 早くきてー 助けてー 水がのみたいよー 痛いよー 暑いよ 痛いよー お母さん (7.)痛いよ 水をくれー 水をくれー 十五才位の女の子の手をつないで帰る 早く逃げよう 暑いよー 救助隊の人達 長束駅 可部 横川 **別紙 (5) 川を渡ったら、あちこちの山に飛火して少しずつ燃え上っていた。対岸を見た。三滝にある陸軍病院も建物が倒れ大きな(ハリ)の下敷きになった兵士が「助けてくれー、助けてくれー」と叫ぶ声がよく聞えてくる。川を渡って何人かの白衣の人達が山の方に逃げていたが、山が燃えていたのでどうなったかわからない。 ヨタ、ヨタ、フラ、フラ、あっちに行ったりうづくまったりする人達が多くなって来た。線路までなかなかたどり着くことが出来ない。私達の服をつかまえても、すぐにはなれてしまう。「一緒につれて帰ってよ」といいながら歩けない人達ばかり。まるで地獄絵図の様だったと思う。異臭も随分したと思うが何も分らず、とに角自分の家の方向に歩いた。 (6) 線路づたいに2人共歩き出した。15才位の女の子が2人の間に入って来て、「一緒に連れて帰ってよー、亀山まで帰りたい」と言うので、2人で両手をつないだ。ずるずるに皮がむけてたれ下っていた。可愛い顔をしていたが口唇がヤケドではれ上り、頭から血が流れていた。「足が痛い、足が痛い」と言うので靴を脱がせようと思っても皮膚が靴にくっついていて脱がせることが出来ない。泣きながら歩くのを両手で支えて歩いた。長束あたりで救援隊の人達が来たので女の子をおねがいして2人で又歩いた。大粒の黒い雨が降って来た。又油をまいて爆弾を落される。早く逃げないと焼き殺されるぞと口々に言いながら線路づたいに急いだ。ふり返って横川の方を見たらあちこちと火の手が上がっていた。線路上には被爆者が折り重なる様に苦しみ倒れていた姿が今でも忘れられない。 (注:文中の「天満川」は山手川と思われる) |
サイズ(cm) | 45.5×53 |
展示の説明文 | 大粒の黒い雨が降って来た。「また油をまいて爆弾を落とされる」、「早く逃げないと焼き殺されるぞ」と口々に言いながら、線路づたいに急いだ。 |