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トップページ原爆の絵子供を寝かせぼう然としている母親、360度見通しのきく砂漠のような広島。

原爆の絵

識別コード NG246
絵の内容 子供を寝かせぼう然としている母親、360度見通しのきく砂漠のような広島。
作者名(カナ) 槙本 喜一(マキモト ヨシイチ)
作者名(英語) Yoshiichi Makimoto
当時の年齢 20歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 **絵の中
Y.MAKIMOTO
**別紙
別紙1 被爆者が描く「原爆の絵」
応募者名 槙本喜一 77才 被爆地 広島市 
コメント
昭和20年8月1日九州の日向住吉の西部第138部隊に入営した私は、全部隊と共に磐田市にある第一航空情報連隊に移動することとなり8月7日出発、翌8日、早朝、不通となった汽車から降りて、長い道矩を鉄道線路の上を歩いて広島駅まで行軍しました。そのころつけていた日記にそのままつづけて書きとめていた記事やスケッチを読み返し、砂漠さながらであった悲惨な当時の広島を思い出しながら描きました。
別紙2 「原爆の絵」の説明
前年から原爆投下の48時間後までに連想したことを絵にしました。
左上
宝塚少女歌劇団慰問演芸
題 棒縛りしばり
当時最も楽しかった思い出です。見たのは前年三木市で飛行場急増造の勤労奉仕出動中のある晩でしたが、後に被爆されたと聞き、鎮魂の思いで描きました。
その下
三木に動員された勤労奉仕は朝から晩まで重いローラーをひくことでした。ツルハシで作業する班もありました。
左下
行軍の途中線路の土手の下に見かけました。トタンを土手にさしかけて中に子供を寝かせ、母親は呆然自失でした。
右上 中
360°見通しの効く当時の砂漠のような広島を描きました。
右下
途中、こわれた水道管から水がチョロチョロ流れているところがありました。部隊はここで小休止となり、皆列をつくって飲み、水筒(竹筒)も順に一杯にしました。その時の自分の姿と順を待つ同年兵を想像して描きました。
サイズ(cm) 32.5×41
展示の説明文

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