トップページ原爆の絵きのこ雲の中心部は真っ赤な火の玉でそれが再爆発するのではないかと子ども心に恐れながら家路を急いだ。
識別コード | NG240 |
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絵の内容 | きのこ雲の中心部は真っ赤な火の玉でそれが再爆発するのではないかと子ども心に恐れながら家路を急いだ。 |
作者名(カナ) | 山本 満和(ヤマモト ミツカズ) |
作者名(英語) | Mitsukazu Yamamoto |
当時の年齢 | 12歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)8:15 |
情景場所 | 猿猴川沿いから見た市内中心部 |
情景場所旧町名 | 仁保町 |
情景場所現町名 | 仁保 |
爆心地からの距離 | 4,700m |
ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
作者による説明 | **裏 「あの日のイメージ」 山本 満和 **別紙 「原爆の絵」係様 H14.7.16 山本満和 男 コメント 当日(1945.8.6)私は小学校6年生でした。疎開していたが、夏休みで家もとに帰っていました。猿猴川ぞいから比治山の向こう側に“きのこ雲”を8時15分に見ました。その一日を思い出しながらイメージを描いてみました。 まず、比治山の向こう側に、“ピカ、ドン”と立ち上がった“きのこ雲”は、中心部は真赤な火の玉でやがてそれが再爆発するのではないかと子ども心、恐れながら家路へと急ぎました。家では父親が不きげんそうにちりとりとほうきをもってこわれたガラスの破片を片づけていました。 大州の方を見ると屋根瓦が木の葉のように土ほこりと共に舞い上がって右へ飛んでいました。(爆風による) 川土手には、2~3名の兵隊さんがヘルメット(当時は鉄かぶとと呼んでいた)をつけ、川からはい上がって高射砲らしい所へ移っていた。 比治山の向こう側(市の中心部)は大火事らしく煙が舞い上がっていたが、こちら東側は陰となり割りと平穏な様子でした。 家の片づけが終わって、午後になると、小路は被爆者のやけど姿が次から次へとたえず、そのいたましい姿は目をおおうほどで家にとじこもりました。やがて、夕方になると田舎(畑賀村)のおじさんが被爆されたことを聞き、近くのおじさんの家に見舞いに行きましたが、フトンに横たわっておられ顔はやけどで疑うほどでした。(全身やけどで、本当に○○さんですかと何度か問い直されたと聞きました) 以上、あの一日をふりかえって、拙作ですが、後世に少しでも伝えることができればと思い筆をとってみました。 *空には事前にB-29(4発)を見ましたので絵に入れてみました(過ぎ去るようすを) |
サイズ(cm) | 32×40.5 |
展示の説明文 |