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トップページ原爆の絵救護所で救援活動を行う。絶え間のない空襲警報で防空ごうに向かうこともしばしばだった。

原爆の絵

識別コード NG236-01
絵の内容 救護所で救援活動を行う。絶え間のない空襲警報で防空ごうに向かうこともしばしばだった。
作者名(カナ) 知久 喜代野(チク キヨノ)
作者名(英語) Kiyono Chiku
当時の年齢 25歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所 三星製菓、大正橋付近
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,030m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
キ然たる煙突
三星製菓

カンパン
岡山六甲生
空襲
交通費支給
板裏草履
裏に四ツ位の木片を並べ、熱い道では好評だった。
四斗樽
大正橋のたもとにある三星製菓は非常時には救護所となっていた。
私は日本製鋼所の配給課より岡山六甲生と共に食料品を万載したトラックに乗り現地へ向った。そして絶間ない空襲警報に壕に馳込む事もしばゝであった。
一列に並べられた疊には東洋工業の支給と聞くカンパンを枕辺にはや旅立っていた。
川には戸坂にくくられた人が無念の思いをこめて去りがたく何日もガンゲにたヾよっていた。松の木の下の人は作業員により丁重に焼れた。
知久 喜代野
サイズ(cm) 38.8×45.4
展示の説明文 橋のたもとの工場に設けられた救護所
絵/知久喜代野氏
1945(昭和20)年
大正橋付近 爆心地から約2,000m
川沿いには、火災から逃れてきた人々であふれました。大正橋のたもとには、仮設の救護所が設けられ、負傷者が一列に寝かされていました。県外からの救護班がおにぎりや乾パンを負傷者に配りましたが、それを食べることもなく多くの人が亡くなりました。

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