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トップページ原爆の絵焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。

原爆の絵

識別コード NG229
絵の内容 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。
作者名(カナ) 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ)
作者名(英語) Yaeko Hatano
当時の年齢 19歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)朝
情景場所 広島中央放送局前
情景場所旧町名 上流川町
情景場所現町名 幟町
爆心地からの距離 1,000m
ブロック別 銀山・幟地区
作者による説明 **絵の中
旧広島放送局
8月7日朝燒跡までたどりついて、一面がれきの中を土壁の下になっている姉(歯の形でわかりました)の頭骨を見つけました。思わず壁を持ち上げました
この事はどの様に書き表してよいやら今でも胸が一ぱいになって筆が進めませんでした。
家には母、姉、妹と3人居りましたが母は出る事も出来ずそのまま焼けました。
妹はやっと出て放送局の人に頼んで来てもらったそうですけど まわりに火がまわって来たので「ゴメンネ」と言って逃げたそうです。妹も30日に亡なりました。
放送局の前に子供さんをかばって、亡なられているのもはっきりとおぼえて居ります。
原爆の絵いく度も書いておかねば・・・・と思いながら・・・・書けませんでした。
多くの方の亡なって、黒こげになられて居るのも・・・・暑さ眞夏の暑さでパンパンにふくれ上って居る様子など道路のあちらこちらに亡なられている様子などとても今では想像も出来ないと思いますが地獄絵です。生きているまゝ燒かれるのです。
(広島市上流川町)

母の骨は瓦礫の下で形もわからないように燒けていました
**裏
波多野 ヤエ子
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文

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