トップページ原爆の絵お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかりと抱きかかえて死んでいた母親。
| 識別コード | NG225-03 |
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| 絵の内容 | お乳を飲ませていたのか胸をはだけたまま赤ちゃんをしっかりと抱きかかえて死んでいた母親。 |
| 作者名(カナ) | 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) |
| 作者名(英語) | Hiroko Imanaka |
| 当時の年齢 | 20歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/7 |
| 情景場所 | 鶴見橋付近 |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | 1,650m |
| ブロック別 | 比治山・仁保地区 |
| 作者による説明 | **裏 今中 弘子 **別紙 8月7日父が行方不明なので、母と2人でさがしに出かけました。 柳橋の川土手方面に建っていた家は全部火災で焼けてしまいました。 川土手を歩いて行きましたら黒こげになった人間の焼死体 馬や犬の動物の死骸があちこちにころがっていました。 川は眞赤な血の川となり死体がぶかぶかとうかんで流れ 地獄とはこのことだろうと思うばかり悲惨な有様でした。 鶴見橋まで行った時赤ちゃんのはげしい泣き声がするので行って見ましたら橋のたもとに大きな柳の大木がたっていますが お母さんが防空ずきんをかぶったまゝもう息たえていました。 大木にすがり夛分赤ちゃんにお乳を呑ませていたのでしょう胸をはだけたまヽ赤ちゃんをしっかりとお母さんが抱きかヽえて死んでいました。 その母親の姿に一層の哀れさをおぼえました。 夛分火災で家が焼だされ赤ちゃんを抱いてこヽまで逃げて来たものと思います。 私達はどうしてあげる事も出来ず後髪を引かれる思いでそこを離れたのでした。 今中 弘子 |
| サイズ(cm) | 40.8×32 |
| 展示の説明文 |