トップページ原爆の絵全身にガラス片を浴び、べっとりと血のりのついた妹の顔
識別コード | NG220 |
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絵の内容 | 全身にガラス片を浴び、べっとりと血のりのついた妹の顔 |
作者名(カナ) | 三浦 静子(ミウラ シズコ) |
作者名(英語) | Shizuko Miura |
当時の年齢 | 28歳 |
寄贈者名 | 小野田 久子 |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)10:00過ぎ |
情景場所 | 大内越峠下 |
情景場所旧町名 | 尾長町 |
情景場所現町名 | 尾長町 |
爆心地からの距離 | 3,400m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 一.七キロ地点(上幟町栄橋西詰)で被爆し、三キロの道のりを彷徨う様に私方へ(尾長町丸山大内峠下)辿りつきましたのが十時過ぎだったと思います。 三浦さん三浦さんと云う声にはっと見ましたのがこの妹の顔です。まるで地獄から鬼がとび出して来た様でした。十数ヶ所の傷口からは出つくしたと云う様に顔にはベットリと血のりがこびりつきあまりのことに声も出ませんでした。それでもかすかに「姉ちゃん助かるかね」と一言その声が今でも耳の底に残ってゐます。当時十八才でしたが現在元気で頑張っています。被爆三十年で只一人の生証人の私が妹の為に重い絵筆を取りました。 姉 三浦 **裏 小野田久子 主婦 74才 ※当時は上柳町でした。 **別紙 大内峠まで3キロはなかったと思いますが長く感じました。もっと首から胸、上膊(両方)と血みどろでしたが、しばらくしてかいてくれましたので実状より少し軽傷です。顔に無数のガラス片がさゝり、三浦姉(4女)が抜きとってくれ、リバノールを一心にぬり続けて現在の私(7女)があるのです。 1昨年(2000年)金婚式の年、55年ぶりのガラス片が左ホホからのぞき摘出しました1辺7ミリ未満の3角形をしております。 このたび平和記念資料館3Fロビーに展示され、近日中に陳列の(戦争の遺物、私にとっては守護の神様)を心して見学に参るつもりです。 同封の絵はずーっと前に出品した事があります。 いかがかと思い乍ら平和な時代へ少しでも参考になればと思い送りました。 H14.7.10 小野田久子 |
サイズ(cm) | 37.5×26.8 |
展示の説明文 | 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』 〔作者のことばから〕要約 姉ちゃん助かるかね 妹の顔は、まるで地獄から鬼がとび出して来たようでした。十数カ所の傷口からは出つくしたというように、顔にはベットリと血のりがこびりつき、あまりのことに声も出ませんでした。それでもかすかに「姉ちゃん助かるかね」と一言。その声が今でも耳の底に残っています。 8月6日 午前10時過ぎ 3,400m/大内越峠下 三浦 静子 |