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トップページ原爆の絵舟を取りにいくために川に入って見た水没した死体。病院の入院患者らしく白い着物を着ていた。

原爆の絵

識別コード NG212-01
絵の内容 舟を取りにいくために川に入って見た水没した死体。病院の入院患者らしく白い着物を着ていた。
作者名(カナ) 泉原 寅男(イズハラ トラオ)
作者名(英語) Torao Izuhara
当時の年齢 23歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/8(時刻)14:00頃
情景場所 中国軍管区工兵補充隊近くの川
情景場所旧町名 白島北町
情景場所現町名 白島北町
爆心地からの距離 2,070m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **別紙
氏名 泉原寅男

小生は昭和20年8月1日広島市白島町にあった工兵部隊に入営しました。広島の街は前日の7月31日の夕暮、五日市(?)から白島まで電車で行く時に見ただけで柳かなにかの街路樹が植わった明るい街並の印象があるだけです。従って、この絵を画くにあたっても背景がはっきりしませんでした。
なお、この工兵部隊は本隊が中支に駐在し留守隊は新兵の教育隊のようになっていたようです。そのせいか5日夜の空襲警報で就寝が0時を過ぎていたので6日の起床時間を1時間遅らせ普通なら演習集合で営庭に整列していた8時15分当時まだ室内で朝食の準備中だったので命拾いした次第です。
絵は23、4年前被爆の記録を書いた時画いたものを参考にしました。絵の拙いのはどうにもなりませんが背景が57年前に一度だけ見た光景なので自信がありません。
御諒承ください。
**別紙
1.水没死体
日時.8月8日午後2時頃
場所.大田川と錦川の分岐点

 大田川の上流の小学校に赤十字病院が開設されたそうで部隊の負傷者を舟で運ぶことになり班付きの兵長の指揮で5、6人が行くことになった。舟は隊が所有する櫓漕ぎの木船で対岸に繋がれているので腰迄の水を渡りとりに行くことになったがふと見たのが此の光景である。朝、街の方から逃げて来た病院の入院患者(陸軍病院?)らしく真白の着物を着たのが5、6人、川に降りて水を飲みそのまま死んだのか動けなくなったのかたまたま大潮の満潮でこの辺でも1メートル近い水深で頭の先端だけが水面に出て坐ったままの恰好をしている。生存者優先で死体をかき別けるようにして側を通り舟をとりに行ったが、夕方戻って来た時には誰か収容したのかあるいは放置されて潮に流されたか遺体はなかった。
 画面左が広島駅の方向、右は大田川、左上端に我々の部隊があったのだが思いだせない。
サイズ(cm) 24.3×35
展示の説明文 朝、街の方から逃げて来た陸軍病院の入院患者らしく真っ白な着物を着たのが5、6人、川に降りて水を飲み、そのまま死んだのか動けなくなったのか、たまたま大潮の満潮でこの辺でも1メートル近い水深で、頭の先端だけが水面に出て座ったままの格好をしている。

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