menu

トップページ原爆の絵建物の下敷きになったが、屋根の上にのがれ、北北東の上空に紅蓮の炎の火球を見た。

原爆の絵

識別コード NG208-01
絵の内容 建物の下敷きになったが、屋根の上にのがれ、北北東の上空に紅蓮の炎の火球を見た。
作者名(カナ) 高橋 正明(タカハシ マサアキ)
作者名(英語) Masaaki Takahashi
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:16~8:17
情景場所 舟入川口町の自宅
情景場所旧町名 舟入川口町
情景場所現町名 舟入川口町
爆心地からの距離 2,200m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
NO.2

火球
北北東

防火水


爆発直後推定(八時十六分~十七分)下方の下敷人物が私で奇跡的に助り這い出し屋根の上に逃れ其の時北北東の上空に紅蓮の炎の火球を確に望見しました。
左下の下敷の人物は母にて引張り出し救出しました。
場所-舟入川口町
当時市立高等女学校東正門より北通五〇〇米爆発点より丁度二粁の位置です。
約二時間後に南隣りの家迄延焼焼野原になりました。

高橋正明 書
**別紙
NO.1
絵 図を書くにあたって 爆心地二粁の地点です。私も舟入川口町にて母親と共に直接被爆二階建家屋倒壊・下敷になり九死に一生の生存・這い出し、奇跡的に助かりました。
同じく母親を救出し旧広島市立高等女学校(市女)現舟入高校の横の畠に避難しました。約二時間後延焼しました。私の姉も朝は午前七時四十五分頃勤務の為家を出て舟入川口町電停より広島駅方面へ市電に乗車。30分経過推定土橋~十日市方面にて遭難したものと考へ別紙絵のコメントの様八月八日早朝より、ゴム草履・素足などにて両親に私三人にて舟入川口電停-舟入本町-土橋-十日市-相生-紙屋町-八丁堀-(旧)白島線-ニキツ神社-東照宮-東連兵場等捜索しました。其の時の惨状の一部を下手な絵図にて表現しました。  合掌
何も表現しなければ永久に不明で死者に申し訳なくペンを取りました。
(追)不明の姉は九月下旬市役所より佐伯郡大野町大野小学校にて収容死亡致し引取る様通知あり
白木の箱を頂いて父が持ち帰りました。
高橋正明
サイズ(cm) 27×37.8
展示の説明文

戻る

Page Top