トップページ原爆の絵こわれた水道から水が噴き出ていた。みな水を手ですくって飲んだ。
識別コード | NG206-02 |
---|---|
絵の内容 | こわれた水道から水が噴き出ていた。みな水を手ですくって飲んだ。 |
作者名(カナ) | 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) |
作者名(英語) | Yoshie Watanabe |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 広島赤十字病院前 |
情景場所旧町名 | 千田町一丁目 |
情景場所現町名 | 千田町一丁目 |
爆心地からの距離 | 1,500m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **裏 (2) 八月六日被爆したあと目がさめたら無性に喉が渇きました。水を探していたら日赤病院の前の築山のところに水道の栓があってそこが壊われてふき上っていました。 皆んなその水を手ですくって飲みました。夕方小暗くなった頃でした。陸軍の兵隊さんがトラックでカンパンを配っておられました。はじめて空腹に気がついたのをおぼえています。あたりを見廻わしてみるとたくさんの人が倒れておられる。そして「水、水を下さい」と言っておられました。コップがないので手ですくって持っていってあげるとその人はもう死んでおられました。 横にいた赤ちゃんまで動かなくなっていました。この日の惨事が原子爆弾だというのはずいぶんあとのことで知りました。 戦爭はひどい!!戦爭はむごい。私は男子ばかりが戦爭に行ってお國の為に戦っておられるのを見たり新聞で読んでいましたので女子である私もお役に立ちたいと看護婦(あの時は女学校を卒業して甲種救護看護婦養成学校に入校して四ヶ月後のことでした)にあこがれたものでした。戦爭というのはそんな甘いものではありません。お父さんお母さんを失い兄弟姉妹まで赤ちゃんまで殺されこの世の地獄でした。 渡部芳枝(旧姓 米今)74才 |
サイズ(cm) | 37.8×27 |
展示の説明文 |