トップページ原爆の絵人だかりがあり、近寄ってみると不思議と手押しポンプが生きていて水が出た。
識別コード | NG204-05 |
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絵の内容 | 人だかりがあり、近寄ってみると不思議と手押しポンプが生きていて水が出た。 |
作者名(カナ) | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) |
作者名(英語) | Yoshihisa Kagawa |
当時の年齢 | 17歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/14(時刻)15:00頃 |
情景場所 | 相生橋西 |
情景場所旧町名 | 鷹匠町 |
情景場所現町名 | 本川町2丁目 |
爆心地からの距離 | 550m |
ブロック別 | 十日市・中広地区 |
作者による説明 | **裏 (5)相生橋西での寸描 **別紙 (5)相生橋西での寸描 8月14日午後3時頃 次に広島を尋ねたのは14日?(岩国駅が空襲中)で、比治山下をまわり観音町から十日市町についた。観音町では陸軍の糧秣倉庫でもあったのか、缶詰の山に大勢の人々が群がり、すぐに食べられるものをよりわけている。十日市町は路もわからぬ焼け野原で見当がつかず、親戚の安否はつかめなかったが、後日、疎開先に幼い二人を留守番に残して、たまたま十日市町の家に戻っていた両親と長女の3人が犠牲となっていた事が明らかとなった。 相生橋の西、道路北側に数人の人だかりがあり、近寄ってみると不思議と手押しポンプが生きていて、水が出ているではないか。干天の慈雨と言うべきか互いに汲みあった水は透明ではあったが、ススのような微塵が漂っており、これが手茶碗の底に落ち着くのを待って、その上澄みを『冷たくて、おいしい』などと皆で飲みあいながら、『すごい、焼け方だ』と町の被害の凄さなどを話し合った。 この日は、相生橋を西から東側に渡って帰ることができた。 |
サイズ(cm) | 36.7×26.1 |
展示の説明文 |