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トップページ原爆の絵焼け残った電柱に革のジャンパーを着た外人飛行士が一人、後ろ手にされうなだれて座っていた。

原爆の絵

識別コード NG204-04
絵の内容 焼け残った電柱に革のジャンパーを着た外人飛行士が一人、後ろ手にされうなだれて座っていた。
作者名(カナ) 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ)
作者名(英語) Yoshihisa Kagawa
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7(時刻)14:00頃
情景場所 相生橋東
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **裏
4.相生橋東にて 
**別紙
(4)相生橋東にて   8月7日午後2時ころ
電車道を西に進むとすぐに、見覚えのある福屋百貨店の無残な焼け跡があり、ここが八丁堀と確認することが出来た。紙屋町付近も一面の焼け野原でこの辺りに、一台の焼けた電車がいたような気がする。護国神社の鳥居の前、道路をはさんだ南側の焼け残った電柱に、革ジャンを着た、明らかに外人飛行士とみられる人物が一人、後ろ手にされてうなだれて座っていた。道をへだてていたため生死は不明であった。
相生橋のたもとまで来たものの、目指す十日市町はまだ炎を上げており西側から一人、二人と渡ってくる人もいるには居たが、『熱気で大変だ』と言う。事実、西から吹きつける熱風は呉で経験した焼夷弾空襲をはるかにしのぐ強烈なものだった。橋は爆風で持ち上がったのか、路面には2センチばかりの段がついていたと記憶している。橋を渡る勇気は失せてしまい、橋のたもと近くの土手に立って、(行き先はあそこなんだけどなあ)と思いつつ、炎が上がる町を眺め、川面を見たり、20分位もいただろうか。焼け焦げた木材と遺体が重なりあった灰色の川は流れるでもなくよどんでいた。帰路、あの外人飛行士の姿には気がつかなかった。
この夜、37.3度の発熱があったので、日射病にやられたと思った。
サイズ(cm) 26.1×36.7
展示の説明文

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