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トップページ原爆の絵塀のそばに横たわっていた黒焦げの死体。目と歯だけが白くいつまでもいつまでもその場所にあった。

原爆の絵

識別コード NG199
絵の内容 塀のそばに横たわっていた黒焦げの死体。目と歯だけが白くいつまでもいつまでもその場所にあった。
作者名(カナ) 池田 光男(イケダ ミツオ)
作者名(英語) Mitsuo Ikeda
当時の年齢 4歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/8~8/9
情景場所 広島刑務所
情景場所旧町名 吉島町
情景場所現町名 吉島町
爆心地からの距離 2,030m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **裏
池田光男

**別紙
原爆の日の思い出
池田光男(61才)  
被爆地 吉島本町 
被爆時 満4才
『ピカッ』と閃光があり、何がなんだか分からないうちに、モウモウとしたホコリが一寸先も見えないほどに立ち込めた。「何もみえないよ、おかあちゃん」と叫んでみたが誰も返事がなかった。叔母がいたので体にしがみついていた。何も見えないのに気づいたら、左の額に激痛があった。撫でてみたら手のひらが真っ赤になった。そのうち血のりで目が開けられなくなった。叔母に連れられて、近所の外の水道のわずかなしずくと、畑のトマトで目をきれいに洗ってもらった。血が止まらないのでヨモギをもんで額にあてていたらそのうち止まった。周りの家はみんなこわれていて、遠くではあちこちが燃えており空までも火の空であった。また、全身真っ黒こげで衣服なのか、皮膚なのか区別もつかなくて、目と歯だけが白い人が来た(水を求めて来た。水をあげたらどこかに行かれたとのこと。)その後、その人が、どうなったのか忘れていたが、刑務所の塀のそばを通った時に黒い人間が横たわっており、何時までもいつまでもその所にあり、前に水を求めて来た人だと思った。目が開いており、とっても怖かった。いつまでも、そのことが脳裏から離れず、昼間でも一人ではそこを通れなかった。今は、刑務所の塀は、緑の木々が垣根となっているが、その場所を通る時は心の中で合掌して冥福を祈っている。こんな経験は二度としたくないし、子供や孫たちにも絶対させてはならないと思い、下手な絵と文を書いてみた。いつまでも平和であるように祈りたい。
サイズ(cm) 37.9×53.8
展示の説明文

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