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トップページ原爆の絵川土手に出て逃げようとすると黒い雨が降り出した。途中軍隊のトラックの荷台に乗せてもらう。

原爆の絵

識別コード NG198
絵の内容 川土手に出て逃げようとすると黒い雨が降り出した。途中軍隊のトラックの荷台に乗せてもらう。
作者名(カナ) 西本 澄子(ニシモト スミコ)
作者名(英語) Sumiko Nishimoto
当時の年齢 21歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 西観音町一丁目
情景場所旧町名 西観音町一丁目
情景場所現町名 西観音町
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
西観音一丁目
2号線
己斐
田舎から牛が流れて来たのかと思いましたが川は人々の体が黒こげですきまなく浮いています。
「後日の話ですと汐が引くと河口まで行きみち汐になると又元の場所まで流れて来るそうです。二十年八月九日の川の中です」

**別紙
西本澄子
被爆当日の様子
私が被爆した場所は西観音一丁目海軍省指定工場でした。大東亜工業の建物内でした。二階が会議室一階は事ム室で、あの忌まわしい日一階に三十三人居たそうです。私も八時に出勤し事ム所の自分の机に座り北の窓を見ていたら突然まっ白になりました。事ム所全体が浮き上がり一寸南の方へ倒壊したそうですが、そんなことを知るまでに意識を失っていました。幸いに気が付いたのは息ぐるしいのです。家の下敷きになっているのです。手をのばしてやっとそこから脱出したのは九時頃かと思います。外は何処を見ても家は無く全然変わり、日暮れのように暗く、方々が燃え始めてその煙が東へ流れているのです。私は川土手に出て下り己斐へ逃げようと歩きだした時、黒い大粒の雨が降りだしました。フラフラと歩いて二号線を西へ向かっていると「軍隊の車です。廿日市方面に行きます」と声がして大きな黄色いトラックが止まり荷台に乗せて下さいました。私は頭を酷く切って居り、会社の方が手ぬぐいで縛って下さっていたのです。血が顔体と伝って靴の中まで垂れていました。私達三十人余り廿日市でおりて廿日市から大竹の方が一車帰られましたが全員丸裸でした。廿日市で牛乳を貰ったのですが一日中で一㎝位のんだでしょうか。頭部の手術は戦時中でしたので灯火管制の中、楽々園で八時頃です。
昭和二十年八月六日の事です。
サイズ(cm) 19.4×28.6
展示の説明文

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