トップページ原爆の絵福屋の避難階段から搬出されていた軍人・軍属の遺体。100体を越えていた。
識別コード | NG197-05 |
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絵の内容 | 福屋の避難階段から搬出されていた軍人・軍属の遺体。100体を越えていた。 |
作者名(カナ) | 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) |
作者名(英語) | Yozo Tanaka |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7(時刻)11:00 |
情景場所 | 福屋新館 |
情景場所旧町名 | 胡町 |
情景場所現町名 | 胡町 |
爆心地からの距離 | 710m |
ブロック別 | 紙屋町・本通地区 |
作者による説明 | **絵の中 1945.8.7. 11.A.M. 福屋 天満屋 東洋座建物疎開跡 当時福屋は陸軍が接収中。福屋の避難階段から搬出されていた軍人・軍属の遺体(殆んど着衣のまま)すでに、100体をこえていた。焼けた電車のレール上に白骨。 **別紙 福屋の絵は、電車道から見た図。福屋の内部は完膚ないまでに破壊、内部の階段は使用不能。遺体は爆風の裏側にある避難階段を使ってのみ、兵士たちだけで作業が懸命に続けられていた。殆んど着衣のまヽであり、死亡原因が全く違うのではないかと思った。附近に完全に焼けた電車。中に入ってみたが、たヾ鉄骨のみ。レール上に、幼児らしい白骨が散見された。戦後見事に復興した福屋には、どうしても、どうしても、買物に行くことが出来なかった私でした。四十数年も。福屋は私にとっては、烙印された戦跡であり、鎮魂の記念塔でもあるからです。 |
サイズ(cm) | 26.7×37.8 |
展示の説明文 |