トップページ原爆の絵きのこ雲。屋根のない広島駅。負傷者をトラックで運ぶ。病院の廊下に寝てうめく負傷者。
識別コード | NG185 |
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絵の内容 | きのこ雲。屋根のない広島駅。負傷者をトラックで運ぶ。病院の廊下に寝てうめく負傷者。 |
作者名(カナ) | 前川 千枝子(マエカワ チエコ) |
作者名(英語) | Chieko Maekawa |
当時の年齢 | 9歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6~ |
情景場所 | 三原市、広島駅、呉市の病院 |
情景場所旧町名 | 三原市、松原町、呉市 |
情景場所現町名 | 三原市、松原町、呉市 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 運命の8時15分、私10才 台所で、母が朝食の用意をしていました。 光と振動で母はカマドの火を消して、私を妹の寝ているフトンに私を押し込んで、私を助けました。 チャワンが崩れて割れていました。 外に出て、白い大きな雲を、近所の人々と、見上げておりました。 私達は、大阪から呉市三原に疎開して、母は堺駅から、広島宛に送った荷物が着いていないか、毎日たずねに行っていました。私も、一度ついて行きました。ホームにロープが張ってあって、屋根もなく、両方の町にも何もなく、音もなく、黒こげの柱だけの家らしき物が傾いておりました。 ホーム 広島から、呉の病院へ、真黒な頭だけ、チリチリパーマの大きなカツラをかぶったような人々が、トラックに、乗せられて、頭がグラグラゆれるのを、子供の私は不思議な気持で数日眺めておりました。 何日か後に、父が、足にケガをして、私も病院についてゆきました。病室に入りきれない被爆した人達が、ローカに寝かされていて、かけつけた身内の人に水・・・水・・・と、うめいていて、背、まっ黒で体がふくれて、次々と、死んで行かれました。母も、5年後、大阪は堺市で、原爆後遺症で(母42才 私14才 妹5才)亡くなりました。 **裏 №185 場所不明 8月6日 当時の年齢 不明 前川 千枝子 前川千枝子 H14.6.26日 |
サイズ(cm) | 24.1×27.2 |
展示の説明文 |