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トップページ原爆の絵家は皆破壊されて煙や火の手が上がっていた。その下から「助けて、助けて」という声が聞こえた。

原爆の絵

識別コード NG180
絵の内容 家は皆破壊されて煙や火の手が上がっていた。その下から「助けて、助けて」という声が聞こえた。
作者名(カナ) 河口 房子(カワグチ フサコ)
作者名(英語) Fusako Kawaguchi
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 広島逓信病院前、山本国民学校付近
情景場所旧町名 基町、安佐郡祇園町山本
情景場所現町名 東白島町、安佐南区山本一丁目
爆心地からの距離 1,370m~4,060m
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **絵の中
タスケテー
タスケテー
タスケテー
タスケテー
タスケテ
電信柱の下敷だと思いましたが
母ちゃん母ちゃん母ちゃん泣きさけび
お母ちゃんお母ちゃん泣きさけんで居ました
大きな二階建ての内ばかり
圧パクで道もなく
溝の中へ爆風と共に飛込みました
白島逓信病院前
左の絵は山本の方お方で田の仕事をしておられたとの事
お母さんは大きな背中を全部焼けて又子供さん二人共体丸焼と云って良いくらい抱いて上げる事も出来ないとそばの方が云って居られました
『お母さん一緒に死んで』早く死んで・・・・・・しまいたい等と云われて、言葉も出ず泣いて泣いてしまいました
どうしてあげる事も出来ませず・・・・
両者生きておられたそうですが子供は亡くなられました
5才男の子
5才
お母さんいっしょに死のオ死のオ
母ちゃん一しょに死のを等と
3才
此の図は山本小学校附近のお宅です

**別紙
河口房子 90才  
当時 34才
八月六日午前七時頃疎開の為、家を出発。
白島逓信病院南側へ差しかかった時点で熱い熱い線光に当たり、首から上を被爆しました。丁度、白いシャツ白の手袋の為、胸を焼かれなくて幸い生かされて居たと思って居ます。その後、色々の傷創が残りまして、随分と生と死の中をさまよいましたけど、90才云ふ年令迎える迄、生かされて居まして不思議の様に廻りの者は云います。
当時意識がもどり辺りを見廻しますと辺りの者者意識なく倒れて居ました。
まわりの家は皆破壊されて、煙や火の手が上がって居まして、その下のそこのそこから助けて助けての連発の声が聞こえましたが、助ける事も出来ず、逃げて行くのがやっとでした。又廻りには、倒れて居る人ばかり、誰一人も居ないのです。思い出せば息の根もとまる程、胸が痛んで参ります。あの惨状は今でも忘れる事は出来ませんが、絵にする事は大変むつかしくて。キノコ雲とかピカドンとかの音は真下では不明です。
一、二、点書いて見ました。七月一っぱいと云ふ事で子供から勧められて書きました。若しお役にたてば幸いでございます。最後に多勢の方々の亡くなられた方、御冥福お祈り致します。どうぞ核のない世界が平和であります様、重ねてお祈り致します。
サイズ(cm) 17.6×24.9
展示の説明文

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