menu

トップページ原爆の絵相生橋に流れついた数百人もの死体。すべてうつぶせで浮かんでいた。思わず合掌し涙を流した。

原爆の絵

識別コード NG177
絵の内容 相生橋に流れついた数百人もの死体。すべてうつぶせで浮かんでいた。思わず合掌し涙を流した。
作者名(カナ) 辰岩 秀子(タツイワ ヒデコ)
作者名(英語) Hideko Tatsuiwa
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/13
情景場所 相生橋
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
相生橋
本川
**裏
広島市中区大手町二-十一-一〇
NHK広島放送局
原爆の絵係様
皆さま全部うつぶせの姿でした。
辰岩秀子 83才
**別紙
もう画き度くない!!想ひ出し度くない!!と心に決めたことも有りましたが〆切り日が近づくと、心苦しさがつのり、後世の方々に知らせて置かなくては、と思って再び鉛筆を持って居りました。思ひ起せば原爆八月六日、一週間後に姉家族の焼跡へ遺骨探しに研屋町紙屋町方面。
其の時相生橋の十日市町側で流れついて居られた数百人もの原爆死された方々が全部うつぶせで、浮かんで居られました。思はず合掌して、ポロゝ涙を流したことが、忘れられません。研屋町電車通りに住んでいた兄姉の白骨も姪と私の背負って居た長女(一才六ヶ月)の三人でひらい集めて白骨を持ち皈ました。疎開先の廿日市町原へ皈り御佛壇で悲しい語らいを致しました。それから半年(五ヶ月目)におぶって行った女の子も亡く成って仕舞ました。想ひ出し度くないと思ひつヽ… 画いて置かなくては後世の人々には伝はらない…と思って年令をもかへり見づ原爆禁止の運動を世界にと―― 在りし日の伊藤サカエさんと二人、広島代表として、長崎の被爆者、男性二人の四人で、ソ連、アメリカ、ロシア国境と、世界人類の為に原爆は、絶対に禁止しましょうの声を出して廻った者ですが、年令も多く成り、静かに平和な世界を念ずる合掌の日暮をする一人暮しに成りました。
どうぞゝ平和な世界の續くことを心から祈願しつヽ絵を書かせて頂きました。
平成十四年六月廿四日
中国新聞社
原爆の絵係様
辰岩秀子(83才)
サイズ(cm) 38×53.7
展示の説明文 相生橋の十日市町側で、流れついておられた数百人もの原爆死された方々が、全部うつぶせで浮かんで居られました。思わず合掌して、ポロポロ涙を流したことが、忘れられません。

戻る

Page Top