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トップページ原爆の絵広島赤十字病院の玄関前の丸い花壇の上には木材のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体。

原爆の絵

識別コード NG173-01
絵の内容 広島赤十字病院の玄関前の丸い花壇の上には木材のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体。
作者名(カナ) 河野 きよみ(コウノ キヨミ)
作者名(英語) Kiyomi Kono
当時の年齢 14歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 広島赤十字病院
情景場所旧町名 千田町一丁目
情景場所現町名 千田町一丁目
爆心地からの距離 1,500m
ブロック別 国泰寺・千田地区
作者による説明 **絵の中
日赤病院の玄関前の丸い花壇の上には材木のように重ねて置かれた中学一、二年生の遺体がありました
名札には広島二中と書いてありました。
八.七.
放射能に斃れし少年無傷なりゲートルを巻くあどけなき顔
**裏
河野きよみ
**別紙
「日赤の花壇の上の遺体」 河野きよみ
姉を探して、矢賀駅から瓦礫の上を歩いて漸く辿りついた。広島の赤十字病院の玄関前の花壇の上に、私と同年齢の広島県立第二中学の二年生の生徒たちが、まるで材木のように重ねられていました。彼等は、建物疎開のために屋外で作業するため、放射能を浴びて亡くなられたのでしょう。火傷はなく全く無傷のままに息絶えていました。同学年の私は強いショックを受けました。現在の建物が出来るまで、花壇は残っていて蘇鉄が緑に茂っていました。日赤に行った時には、いつもその花壇に手を合わせていましたが、十年前に立派な病院に建て替わり花壇はなくなりました。あの死体の山の中に未だ息のある人があったのではなかろうか。何人の人の遺骨が、お母さんの胸に抱かれたであろうか?と今も思うことがあります。 合掌
名札みな広島二中と書きてありいくばくの骨母に抱かれしか きよみ
河野きよみ
サイズ(cm) 27×38
展示の説明文 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』
〔作者のことばから〕要約
材木のように重ねて置かれた遺体
日赤病院の玄関前の丸い花壇の上には、材木のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体がありました。やけどはなく全く無傷のままに息絶えていました。名札には広島二中と書いてありました。
8月7日
1,500m/広島赤十字病院
河野 きよみ

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