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トップページ原爆の絵力尽き息絶えた母子。その姿はまだ生きているようで赤ん坊は母親の乳をもとめているように見えた。

原爆の絵

識別コード NG172-02
絵の内容 力尽き息絶えた母子。その姿はまだ生きているようで赤ん坊は母親の乳をもとめているように見えた。
作者名(カナ) 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ)
作者名(英語) Hiroko Narahara
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/9
情景場所 広島県産業奨励館東側
情景場所旧町名 猿楽町
情景場所現町名 大手町一丁目
爆心地からの距離 160m
ブロック別 平和記念公園・周辺地区
作者による説明 **絵の中
七月三十一日 広島を離れていた私は、県庁職員の父を捜して八月九日入市。あちこちで見たものを、一枚の紙に描きました。倒れた母は捜しあぐね、力尽きたのか?生きているようにも見え、赤ちゃんは乳を求めているようにも見え、原爆ドームの東あたりだったと思います。他の屍と違い、生きているようで声はかけたものの素通りした思いは、心の底にずっしりと残っています。
私は16才
**裏
楢原裕子
サイズ(cm) 37.5×45
展示の説明文 力尽き息絶えた親子。その姿はまだ生きているようだった。
絵/猶原裕子氏
1945(昭和20)年8月9日 -/息絶えた親子、まだ生きているようだった
1945年(昭和20年) 8月9日 爆心地から 160m 猿楽町 広島県産業奨励館東側
楢原裕子 作(被爆当時16歳/絵を描いた年齢72-73歳)
倒れた母は、捜しあぐね 力尽きたか
赤ん坊は 母親の乳をもとめているようにも見えた。
他の屍と違い 生きているようで、声はかけたものの 素通りした。
〔作者の言葉より〕

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