トップページ原爆の絵愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。
識別コード | NG165-05 |
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絵の内容 | 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 |
作者名(カナ) | 駒田 保(コマダ タモツ) |
作者名(英語) | KOMADA Tamotsu |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/11(時刻)9:00頃 |
情景場所 | 浄光寺 |
情景場所旧町名 | 荒神町 |
情景場所現町名 | 荒神町 |
爆心地からの距離 | 2,100m |
ブロック別 | 牛田・広島駅周辺地区 |
作者による説明 | **絵の中 米保 **別紙 東荒神町(山陽本線愛宕踏切)西側 爆心地より約2.1km 1945年8月11日AM9時頃 愛宕踏切を渡って、その一帯建物は見当らず。 浄光寺の山門焼け残り一ヶ所あるのみ。 当時被爆後暫らく広島駅使用不能になっており、姉の遺骨収集に髙須の親戚に行くため芸備線矢賀駅から徒歩で市中に入る。 姉は油屋町で被爆後、電車橋(天満橋)西側に倒れていた様で当時救急活動されていた警防団に助けられ高須の親戚迄大八車で運んでもらった様です。話ではほとんど裸の情態だったそうで6日午後8時過ぎ息を引きとったそうです。 |
サイズ(cm) | 28.8×42.4 |
展示の説明文 |