トップページ原爆の絵シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。
識別コード | NG165-02 |
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絵の内容 | シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。 |
作者名(カナ) | 駒田 保(コマダ タモツ) |
作者名(英語) | KOMADA Tamotsu |
当時の年齢 | 16歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)9:00前頃 |
情景場所 | 南大橋東詰付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | 1,750m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 米保 **別紙 爆心地より約1,700m 1945年8月6日午前9時前頃(8時40分頃か) 広島市千田町南大橋東詰附近 南大橋から鷹野橋辺り迄通り抜ける時、先ず出会った人々の姿。シャツはボロボロ、顔、腕、手の甲当りの皮膚が剥げ、たれ下っておる人々。その中をくぐり、異様な臭いがする。当時我が家は油屋町(現本川町)であり、爆撃は工場直撃されたものと思い、先ず家に知らせてと思い、電車通りを通れば、帰れると思った。南大橋へ出てみて既に周囲一帯家屋が倒壊しており、これは只ならぬ爆撃を受けたと思いました。 太平洋戦争の激戦は常にニュースで聞かされていたが、この様な爆撃の情態は想像出来ませんでした。 この絵で特に見て頂きたいのは絵での表現力が、至らなかったものの、被爆者の顔・腕等の皮膚が剥がれ、たれ下っている処。避難の方向は南千田町方面。 絵には表現できませんが生くさい、生傷の臭いのする人々でした。 |
サイズ(cm) | 41.7×29.5 |
展示の説明文 |