トップページ原爆の絵昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。
識別コード | NG156 |
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絵の内容 | 昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。 |
作者名(カナ) | 吉田 誠(ヨシダ マコト) |
作者名(英語) | Makoto Yoshida |
当時の年齢 | 7歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1946 |
情景場所 | 千田国民学校 |
情景場所旧町名 | 千田町二丁目 |
情景場所現町名 | 東千田町二丁目 |
爆心地からの距離 | 1,690m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **別紙 絵の説明 私は昭和二十一年疎開先の島根県から父の作ったバラック(大手町)に帰りました。以前在学していた大手町国民学校は開校されることはなく、私は千田小学校に転入しました。校舎はまだ無く青空教室で石やガレキに腰かけて先生の御話を聞いたものです。無論黒板などありません。絵はこのような時期の千田小学校の講堂の残骸です。二年生だった私は、その怪物のような曲がりくねった鉄骨に圧倒されたものです。私にとっては、もう一つの原爆ドームでした。左下の小屋は保健室、後に倉庫になったと思います。ブランコは唯一校内にあった娯楽施設でした。木造の校舎が完備されたのはこのあと三・四年後でした。このような学校でも子供達は皆元気で楽しい毎日だったと記憶しています。 吉田誠(64才) |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | 以前在学していた大手町国民学校は開校されることなく、私は千田小学校に転入しました。校舎はまだ無く青空教室で石やガレキに腰かけて先生の話を聞いたものです。絵はこのような時期の千田小学校の講堂の残骸です。二年生だった私は、その怪物のような曲がりくねった鉄骨に圧倒されたものです。 |