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トップページ原爆の絵比治山の防空ごうと集められた死体の火葬

原爆の絵

識別コード NG155-02
絵の内容 比治山の防空ごうと集められた死体の火葬
作者名(カナ) 中島 和明(ナカジマ カズアキ)
作者名(英語) Kazuaki Nakajima
当時の年齢 9歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所 比治山公園
情景場所旧町名 比治山公園
情景場所現町名 比治山公園
爆心地からの距離 1,980m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
防空壕
死人の山
人焼場
**裏
中 島 和 明 (65才)被爆時9才
**別紙
被爆場所・比治山本町鶴見橋付近山裾、爆心地より2キロ。被爆年令・9才
(2002)現在65才 中島和明
家族の被爆死 祖母53才(私の養護者・家の下敷) 叔母20才(新聞社出勤途中・行方不明) 義妹4才(玄関先・私の直ぐ後ろで)
中島和明
被爆直後の状況
早朝、空襲警報解除サイレンが鳴り止み、食後の片付けで、外にある水道蛇口に食器を持って出て洗っていた。義妹は私の直ぐ後ろで遊んでいた。うすいシミーズ一枚着である。光も音の記憶は無いが、瞬間的あらゆる条件が私の気を失わせ、数分屋根下に倒れていた。思い起せば次の事が予想される。瞬時に倒れた家屋の軒裏で頭を打たれ気を失った処へ、運良く屋根の隙間が被ってきた。何分位過ぎたか全くわからないが、木々の燃える匂いと煙に息苦しさから気が戻り、立ち上がろうとして頭が屋根裏に支えた。周りはうす暗く何があるか全く分らず、重ねて煙で何も見えない。ひたすら光一点を求めて這い出していた。ようやく体の自由が利き、立ち上がろうとしたが頭はもうろうとして周りの状況は分らない。思考力なくカモの子の如く動く人の後をついて歩いた気がする。記憶を辿ると電車通りを渡り、鶴見橋か比治山橋迄歩いた気がする。徐々にわが家の所在地が分り、近く迄戻った時、再婚した母が私を探して飛び回っていた。それから何日間か分らないが、裏山にある防空壕で寝起きして回りの息苦しい地獄の惨状を目のあたりにしてきた。倒壊した家の中で祖母は即死、外で私のすぐ後ろで遊んでいた義妹は全身被爆による水ぶくれで三日後に死んだ。叔母は電車で出勤中、どの当りで被爆したか分らず、未だ消息不明である。
サイズ(cm) 25.5×36.5
展示の説明文

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