トップページ原爆の絵広島に派遣されていた兵隊たちが病気になり帰隊してきた。病気の原因も治療法もわからなかった。
識別コード | NG150 |
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絵の内容 | 広島に派遣されていた兵隊たちが病気になり帰隊してきた。病気の原因も治療法もわからなかった。 |
作者名(カナ) | 天野 勝幸(アマノ カツユキ) |
作者名(英語) | Katsuyuki Amano |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | 宮崎県三財村 |
情景場所現町名 | 宮崎県西都市上三財 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 原隊復帰状況 K.Amano **別紙 原爆の絵 テレビの中で原爆の絵を募集している事を知りましたが、頭の中では思いは有るが絵に表現するには、とうてい絵と成らないだろうが思い切って書くことにした。若し利用出来るのならと思い送ることにします。 僕は、宮崎県児湯郡新田原陸軍病院の衛生兵として、初年兵で終戦となった。終戦時には、新田原病院も新田原飛行場も焼け「野が原」と化している。僕等は焼ける前から、野尻町で病院の「ゴウ」ほりや、西都市上三戝に避難し、病院を設置し原隊に帰って来る派遣兵の病兵対策に当たっていた。上三戝を終戦時期となる。そこでの絵として書いてみたのです。 広島に派遣されていた兵たちが原爆にあって病気に成り帰隊するに、其の状況たるや、あわれと言うに、此の上もない現況であった。船で送られ上陸するに病もわからず対策もわからず情けない事。残念と言うこと以外対策はなかった。 ただ「ネツ」を下げる事や「キズ」に「ヨーチン」液をぬる事ばかり。頭の「カミ」はぬけるし頭は大きく成る、等々、今考えると此れぞ白血病であったと気づくのみです 思い出はつきないけれども此れにて 天野 NHK様 追伸 テレビでは長崎放送局での募集と見たけど、転送をして貰えれば幸甚にと考えて送ります。 |
サイズ(cm) | 25.7×36.4 |
展示の説明文 |