menu

トップページ原爆の絵若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ3、4歳の女の子の手を引き避難していた。

原爆の絵

識別コード NG146
絵の内容 若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ3、4歳の女の子の手を引き避難していた。
作者名(カナ) 古霜 艶子(フルシモ ツヤコ)
作者名(英語) Tsuyako Furushimo
当時の年齢 22歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 比治山橋西詰
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,710m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
比治山橋
**別紙
八月六日 住んでいた山根町内会より各家庭より一名は必ず出席する様にとの事で我が家も姉と二人で出席する事にしました。朝七時過ぎに出かけて集合し比治山橋西詰の広場に行きました。
指導員の方の「今から作業に取りかかりますが横に防空壕が有りますので確認しておいて下さい」と云われ「女性の方は坐って下さい。男の方は前に出て下さい」と云われ男の人が前に出た時、あの強い光が有り、思わずうつ伏に成りました。
四列縦隊の一番前の角に私は居りましたので右側が主に光に当りました。顔を上げたけど眞暗で何も見えないので又うつ伏せて明るく成るのを待って防空壕へ行って見るともう姉ともう一人女の人がいて私を見るなりその人が顔や手に油を塗ってくれた時には痛くは感じなかったけど手の甲の皮は指先に黒く成って垂れて居りました。腰から下は焼けとんで黒く成り下着だけに成って居りましたが、早く逃げようと思う許りで姉と二人で外へ出ました。
とても静かで何の音も有りませんでした。
近所の人の乳母車へ水筒を入れていたので、それを肩にかけ比治山橋に向け渡って行く途中で若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ女の子(三・四才位)の手を引き私等の前を歩いていました。
誰にも会っていませんので其の時の様子が頭に残っています。
あの人は其の後如何されたかと何時も思い出します。
平成十四年六月十七日

古霜艶子
サイズ(cm) 39.8×30
展示の説明文 あの人はどうされたか
1945年(昭和20年)8月6日
古霜 艶子(原爆投下時22歳、絵を描いた時79歳)
【作者のことばから】
比治山橋を渡るとき、若い女の人が赤い裾除け1枚を身に付け、3~4才くらいの女の子の手を引き、私たちの前を歩いていました。あの人はその後どうされたかといつも思いだします。

戻る

Page Top