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トップページ原爆の絵屋根瓦の一部がムクムクと動き私と妹を脇にかかえた父が仁王立ちになって現れた。

原爆の絵

識別コード NG144
絵の内容 屋根瓦の一部がムクムクと動き私と妹を脇にかかえた父が仁王立ちになって現れた。
作者名(カナ) 金近 衛(カネチカ マモル)
作者名(英語) Mamoru Kanechika
当時の年齢 3歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 天満町の自宅
情景場所旧町名 天満町
情景場所現町名 天満町
爆心地からの距離 1,300m
ブロック別 十日市・中広地区
作者による説明 **絵の中
広島市天満町
爆心地より1.6キロメートル

**別紙
絵の説明
私は現在五十九歳で還暦もま近です。被爆当時は三歳でした。被爆地は広島市天満町で爆心地から一・六キロメートルです。原爆投下の朝、父は屋内で私の散髪をしてくれていました。母は屋外で近所の人と井戸端会議中でした。
「八時一五分、突如強烈な閃光と爆風が襲い、外にいた母の頭上にガラガラと屋根瓦が降り注いできた。たちまちもうもうとした土ぼこりで辺りは一寸先も見えなくなった。一陣の風が吹き、周辺の景色がはっきりし始めると、そこには倒壊した家の瓦礫と、その下に私と父と二歳の妹が完全に埋没し姿がきえていた。母は幸いにも無傷であったが、半狂乱になって倒壊した家の周りを父や私の名を呼びながら走り回ったが、何の反応も無かった。時間はどの位たったであろうか、屋根瓦の一部がむくむくと動き出し、中から父が、私と妹を脇に抱え仁王立ちになって姿をあらわした。このときほどうれしかったことは後にも先にも無いと、母はよく語っていた。父は私たちをかばったのか全身に木片が突き刺さり真っ赤に血で染まり、私はおかげで額と腹部に二ヶ所の軽傷、一方妹は頭部に深手を負い頭蓋骨がはみ出し、瀕死の重傷を負っていた。」
その日の昼は、放射能でやられたのか知らないが近くの川に浮いた川魚を食べ飢えをしのぎました。川辺には火傷した人々が水をもとめて累々と重なるようにして倒れ伏していました。その夜は被害のなかった山間部に逃げ見知らぬ民家に助けを求めました。そこにはすでに重傷を負った人が一人横たわっていました。その夜その人は寝息も立てずピクリとも動かず寝ていた。翌朝、目がさめると横に寝ていたその人は、既に息絶え全身にハエがたかり一部うじが湧いていました。
戦後、母と妹および私は時期は違うが、三人とも左腎臓の摘出手術を受けています。何かの因縁があるのか不明です。父母は既に他界いたしましたが、妹と私は今なお健在です。
金近衛 
サイズ(cm) 38×53
展示の説明文 『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』
〔作者のことばから〕要約
妹と私を抱えて
倒壊した家のがれきの下に私と父と2歳の妹は完全に埋没した。時間はどのくらいたったであろうか。見守る母の前で、屋根瓦の一部がむくむくと動き出し、中から父が、私と妹を脇に抱え、仁王立ちになって姿を現した。
8月6日
1,300m/天満町の自宅
金近 衛

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