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トップページ原爆の絵畑や道端には多くの人が折り重なって倒れていた。噴煙、粉塵の中から次々に避難して来る人が現れる。

原爆の絵

識別コード NG143-03
絵の内容 畑や道端には多くの人が折り重なって倒れていた。噴煙、粉塵の中から次々に避難して来る人が現れる。
作者名(カナ) 渡邉 昭惠(ワタナベ アキエ)
作者名(英語) Akie Watanabe
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 倉敷航空機株式会社広島製作所付近
情景場所旧町名 吉島本町二丁目
情景場所現町名
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **裏
昭和20年8月6日逃れて来る人達
平成14年6月13日画
渡邊昭恵
**別紙
原爆の絵募集のことを知り、当時の状況を子供達にも殆ど話を聞かせて居ない私なので散散迷った末、高松局に問い合わせたところ何の情報も得られませんでした。

昭和20年8月6日8時過ぎ同僚の女子社員の「アッ…B29が…何か白いものを落とした」と云う声に窓から上空を見ると、機影とそれらしき物が目に写った瞬間、濡れた革の鞭で思いきり叩かれたような痛みを覚えた。意識が戻った時には落ちた天井と崩れ落ちかけた床の上に吹き飛ばされて居た。ようやくの思いで脱出したが全く見通しがきかない。畑、道端には多くの火傷、怪我等で赤黒くふくれ上った人が折り重なって倒れて居られ立ち込めるふん煙、粉塵の中から次々に避難して来る人が現われるのであった。その間を縫って指定された防空壕に辿り着いたが、そこには多くの人とすでにこと切れた方が居られた。途中炊き出しのお握りを持った人達ともすれちがった。被爆してからどのくらい時間が経って居たのか、夕暮れにようやく我が家に辿り着いたが、屋根天井は吹き飛び、どこからでも部屋に入ることが出来た。
以上
被爆日の状況のみ記しました。
渡邉昭惠
旧姓 海老村
昭和33年6月高松転勤
昭和19年3月山中高等女学校女子挺身隊員として広島市吉島本町2丁目倉敷航空機株式会社広島製作所に入社
顔、喉、両腕、咽頭(岡山の救急班診断による)に火傷
サイズ(cm) 26.7×37.7
展示の説明文

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