トップページ原爆の絵当時4歳の唯一の記憶。家が燃えているか何が燃えているのかわからないがものすごい炎だった。
識別コード | NG142 |
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絵の内容 | 当時4歳の唯一の記憶。家が燃えているか何が燃えているのかわからないがものすごい炎だった。 |
作者名(カナ) | 永尾 隆秀(ナガオ タカヒデ) |
作者名(英語) | Takahide Nagao |
当時の年齢 | 2歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/8 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **別紙 「原爆の絵」 たった一つの記憶/パソコンの画面にイメージを描きました 永尾隆秀 被爆した日は、私の家族は高田郡向原か八千代町に疎開していました。 父親はその日に家が心配で広島市的場町に帰りました。翌々日に父は私を連れて再度的場町に、母方の祖母も同じ的場町に住んでいて被爆しました。家の下敷きになりガラスの破片が額に突き刺さり負傷しました。しかし私のその時の記憶は、とにかく家が燃えているか何が燃えているのかわかりませんが、ものすごい炎の記憶しか無いのです。原爆の事を耳にする度、目にする度に頭の中は赤い炎が渦巻くようなイメージが甦ります。他の事は何も記憶にありません。私の父は原爆の事は一切何も話さず、私が高校生の時に原爆症で他界しました。私の長女も幼少の頃原因不明の病気でいろいろな病院で検査に明け暮れましたが、わたしが被爆している事がわかり、病院が治療方法の変更で長女の病気も治りました。再発を心配していますが、現在のところ元気で生活しています。 永尾隆秀 |
サイズ(cm) | 29.8×21 |
展示の説明文 |