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トップページ原爆の絵7カ月の身重だった私は1歳2カ月の長女と二人家屋の下敷きになる。長女は8月29日に死亡する。

原爆の絵

識別コード NG141
絵の内容 7カ月の身重だった私は1歳2カ月の長女と二人家屋の下敷きになる。長女は8月29日に死亡する。
作者名(カナ) 梶野 清子(カジノ キヨコ)
作者名(英語) Kiyoko Kajino
当時の年齢 24歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)8:15
情景場所 舟入町 天満川川岸
情景場所旧町名 舟入町
情景場所現町名 舟入町
爆心地からの距離 1,100m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
爆心地から一キロ舟入町天満川、川岸で被爆。
身重の私(七ヶ月)一才二ヶ月の長女と二人家屋の下敷に。気がつくと娘はいません。
大きな太い梁の交錯した間に挟まっていました。どの様にして娘を引き抜いたか覚えていません。無我夢中でとび出し、目に映った、血と砂ボコリと汗と泣いて喚いて、うろつく人、人、人。
放心状態で人の後につき、右往左往、半裸で血だらけ。この世の姿ではありません。気がついた時、川は満潮でした。黒く恐しい雲が空と落ちて来るかと思ったその時、どっと大粒の雨。潮が引き、娘も私も助かりました。娘のわき腹は、ザクリとざくろの様に大きく引き裂れ、内股は黒く紫に腫れ上り、仮死状態でした。
八月二十九日亡くなりました。十一月二十三日誕生の長男も、亡くなりました。親、兄弟、身内ふる里もなく。独居老人ひとり静かに。黒髪もフサフサと、大きな瞳、小さな口元、童謡の好きな廣子
あなたの成長した姿。
一ト目母は見たい!

**裏
梶野清子 81才
**別紙
被爆八月六日の現状は、今もありありと脳裏に刻まれています。陛下のため、国のためと懸命に熱い心を持って頑張りました。あの瞬間の原子爆弾一発ですっかり世の中変りました。
実家は屋敷が広く将校見習士官の方…ご出征なさる数日間お宿致しました。ある見習士官四名の方々が、それぞれの思い出を書いて下さったハンカチ布を、色褪せていますけど大切に持っております。私も高齢、四人の名前の中、只お一人 越後新発田藩士、誰方かにお渡し出来る事念じます。
満潮の川の真ん中で引き潮まで支えて下さった男の方、五十余年の今も誰方か分りません。あり難く深く心に刻んでおります。
夫の郷里・松山に移り住み、四十余年の苦難の道はそれはそれは険しい日々でございました。
只今は目を病んでおります。
梶野清子 被爆当時(二四才)
サイズ(cm) 23×26
展示の説明文 家屋の下敷きとなり、わき腹がザクロのように引き裂かれ、内股が黒く腫れ上がり、仮死状態になった1歳2カ月の娘。8月29日に亡くなった。
絵/梶野清子氏

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