トップページ原爆の絵負傷者を収容した仮救護所ののテント。毎日のように二人三人と息絶えて運び出されていた。
識別コード | NG138-01 |
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絵の内容 | 負傷者を収容した仮救護所ののテント。毎日のように二人三人と息絶えて運び出されていた。 |
作者名(カナ) | 椋 忠六(ムク チュウロク) |
作者名(英語) | Churoku Muku |
当時の年齢 | 23歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/13 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **裏 ①その当時私は軍隊に居りました 原爆投下一週間後に広島に入りました 浜田歩兵二十一聯隊から教育の為たくさんの将校、下士官が広島に派遣されその安否の確認のため派遣され一行三名宍道から木次線を経てやっとのこと広島に着きました。司令部の附近に常駐して派遣兵の消息の調査に当りました。 その時の光景を思出してお粗末ですが描いて見ました これは負傷者を収容した仮のテントの一部です この中には軍人、市民の区別なく収容されておりましたが毎日のように二人三人と一つのテントから息絶えて運び出されておりました 椋 忠六 八十才 |
サイズ(cm) | 31.2×40.5 |
展示の説明文 |