トップページ原爆の絵まだ5歳だった自分は家の下敷きになったが助けられた。夜、対岸の吉島は火災の火が赤々と燃えていた。
識別コード | NG135 |
---|---|
絵の内容 | まだ5歳だった自分は家の下敷きになったが助けられた。夜、対岸の吉島は火災の火が赤々と燃えていた。 |
作者名(カナ) | 山口 紀行(ヤマグチ ノリユキ) |
作者名(英語) | Noriyuki Yamaguchi |
当時の年齢 | 5歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/7 |
情景場所 | 南千田町 |
情景場所旧町名 | 南千田町 |
情景場所現町名 | 南千田西町 |
爆心地からの距離 | 2,400m |
ブロック別 | 国泰寺・千田地区 |
作者による説明 | **絵の中 僕-(五才の時の僕) この目でみる。 ピカドンを、五才の少年(僕)は・・・。そして-。 家の倒壊した中へ埋められる。 母方の親戚のおばあさんに助けられて、近くの野原で野宿する。対岸の吉島の大火が赤々と燃えて、こちら(南千田側へ)移らないかと近所の住民はその夜ずっと怯えていた。近所の広場につながれていた馬の焼死の悪臭が夜ずっと漂い、大泣きをしたと思う。 のりゆき **裏 (裏書)(吉島飛行場があったと思う)吉島の対岸(夜、大火災で燃えに燃えていた) 山口紀行(ヤマグチノリユキ)現62才 被爆時の年令5才 被爆場所 南千田町 爆心地から2.5K 母方の親戚宅へ預けられていた。その場所が南千田町である。(但し、自宅親の住んでいる場所は、爆心地附近の十日市町で家族全員被爆死する(5名)) 8時15分、南千田町の親戚の近くに住む、一人住まいのおばあさんの家へ、何故か一人遊びに行った。この目で俗にいうピカドン現象をみる。即、家は倒壊し、この家のおばあさんに助けられて土手へ避難。親戚のおばあさんがすぐかけつけてきて保護される。この場所は爆風により全部倒壊したが、幸い火災事故には至らなかった。 夜、近くの野原でカヤをつって野宿する。ケガ人も多く、大人達が泣くのを不思議に感じる。(対岸の吉島飛行場があったと思う)は被爆の大火災で空に舞い上がり、こちら南千田町側へ火が移動しないかと住民はその夜怯えたが、幸い大事には至らなかった。人々は家を起こし、食料を運び出したりして、又、病人の面倒をみたり、不安な恐ろしい夜であった。 近所の広場につながれていた馬が焼死して、その腐敗の臭いがたまらなくて、大声で泣いたように思う。 新沢 (大志茂)←被爆の後このおばあさんにずっと抱かれていた。「母方の親戚」に預けられていた。 上田 南千田西町3(現在) 8時10分(散歩)→(近所の久保田家へ一人遊びに行く) 8時15分この家で被爆→(久保田)(家は崩壊 下敷きになるが逃走できた)ポンプ 南千田西町④現在 加太 篠田 (山竹) 高田 8時30分 (久保田のおばあさんにつれられて土手へ避難す。 (8時30分過ぎ)(土手の上へ避難) 元安川 夜をすごした野原 至修道学園 畑 原爆当時 南千田西町⑤(現在) **別紙 山口紀行 ヤマグチノリユキ 被爆時の年令 五才 被爆場所 南千田町爆心地から2.5k 母方の親戚へ預けられていた。(但し、自宅親の場所は爆心地付近の十日市町で家族全員被爆死する(五名)) 八月六日八時十五分、南千田町の近くの家へ何故か一人で遊びに行っていた。この目で俗にいうピカドン現象をみる。即、家は倒壊、この家のおばあさんに助け出されて土手へ逃避。すぐにかけつけ保護される。この場所は爆風により全部倒壊したが、幸い火災には至らなかった。夜、近くの野原でカヤをつって野宿する。ケガ人も多く、大人達が泣くのを不思議に思った。対岸の吉島(飛行場があったと思う?)は被爆により大火で、それが空に大きく舞い上がり、こちら南千田町側へ火が移動しないかと住民はその夜怯えたが、幸い大事には至らなかった。人々は家を起こし食料を運び出し、又被爆の家族をいたわる。近辺の広場につながれていた馬が焼死して、その腐敗の臭いがたまらなくて大声で泣いたように思う。 六十二才 無職。南千田町の母方の親戚にいたので助かったが、身内(親・家族)は中区十日市町の中心地付近だった為、全員死亡。死亡者 祖父・祖母・父・母・兄 以上。 |
サイズ(cm) | 54×38 |
展示の説明文 |