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原爆の絵

識別コード NG131-01
絵の内容 疎開荷物を運んでいた人の大八車や背中に火がついていた。やけどした人が水を求めながら歩いていた。
作者名(カナ) 後田 末美(ウシロダ スエミ)
作者名(英語) Suemi Ushiroda
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 庚午の自宅近く、国道2号線
情景場所旧町名 庚午北町九丁目
情景場所現町名 庚午北四丁目
爆心地からの距離 3,500m
ブロック別 己斐・草津地区
作者による説明 **絵の中
大八車に疎開荷物を積んで歩いていた人。
車、背中に火がつき助けを求めている。
助けて
お水
薄黒い臭い雨が降って来た。空には、銀色のものが沢山舞っていた。あれは何であったのか?被爆者はきれまなく歩いていた。
**裏
後田末美 78才
**別紙
時は二十年八月六日午前八時十五分頃
場所は家の前 庚午北
空襲警報解除となり、空を見上げていたその時、青白い閃光を受けた瞬間屋根の瓦が落ち雨戸も吹きとびました。
我が家に爆弾が落ちたと思い、国道二号線まで無我夢中で走り出た時の事です
国道二号線まで(100m位)薄黒い臭い雨が降る中、空には、銀色のような物がヒラヒラ舞っていました。あれは、何であったのか今にて私には?です。
当時は、大八車で疎開荷物を運ぶ人が毎日宮島方面に向け運んでおられました。
六日の朝も三、四台位見ました。その一台の荷物に火がつき、おじさんの背中にも火がついていました。当時は食糧不足に伴い道の両端には、誰となく芋を作っておられた。
そのおじさんは火のついた背中を芋畑にすりつけ「熱いよ」「熱いよ」助けてと助けを求めておられたが、だれも助ける人はない。
被爆者達は、老いか、若きか、分別つかず、国道は人の波切間なく、火傷して、着物もボロボロ「お水」「お水」と叫びながら数珠つなぎの中、顔は目と歯が白く見えるだけ
鼻がパクパク、体は皮膚が焼けぶら下った人。この人の列は幾日も続き正にこの世の地獄でした。
サイズ(cm) 26.5×37.9
展示の説明文

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