トップページ原爆の絵うす煙にかすんだような空気が漂う原爆ドームの中にもの悲しく寂びそうな少女の姿が浮かぶのを見た。
識別コード | NG125-01 |
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絵の内容 | うす煙にかすんだような空気が漂う原爆ドームの中にもの悲しく寂びそうな少女の姿が浮かぶのを見た。 |
作者名(カナ) | 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) |
作者名(英語) | YAMADA Sumako |
当時の年齢 | 20歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | |
情景場所 | 原爆ドーム |
情景場所旧町名 | 猿楽町 |
情景場所現町名 | 大手町一丁目 |
爆心地からの距離 | 160m |
ブロック別 | 平和記念公園・周辺地区 |
作者による説明 | **別紙 遠い思い出 ピカドンの日からあのショックの惨事で、余りにも胸に残り、苦しみとなって忘れられなくなってしまいました。でも不思議な事もあります。紙屋町から相生橋、十日市と己斐の方に向って通ると、帰る電車の中からいつも通ると、ドームの前の方ふとみるといつも胸が痛く、胸が苦しくなって、言い知れぬ胸の苦しみで、市内に出るのがとてもだんだん嫌でおっくうになってしまいました。でも、人にはあの惨事は話すことも出来ませんでした。ただ自分の心で手を合わせて冥福をお祈りするだけでした。 まだうす煙にかすんだような空気がただようドームに、ふと目をふと向けるとボーッと少女の姿が浮んでもの悲しく淋しそうな姿がこちらをみつめるように浮かんで、物悲しくやるせない思いを二度も見ました。 さぞ一生懸命家に帰ろうと逃げたこの少女はどんなにかこわく悲しかった事でしょう。炎の中を炎の中を逃げてあの窓の所まで上って行ったのでしょう。方向も分らず、そこからはにげられなくて母のもとへ父母の所に帰りたい会いたいと苦しみの中で涙をし、なきながらお母さんお母さんと叫ぶ思いが写ったのではと思いました。 魂が思いが両親のもとへ心でうったえここにいる事を伝えたように見えました。 |
サイズ(cm) | 35.5×24.5 |
展示の説明文 |