トップページ原爆の絵終戦の翌日田舎に帰ってきた両親。バケツに入れた叔父夫婦と愛犬の遺骨を祖母の前に差し出す。
識別コード | NG108 |
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絵の内容 | 終戦の翌日田舎に帰ってきた両親。バケツに入れた叔父夫婦と愛犬の遺骨を祖母の前に差し出す。 |
作者名(カナ) | 矢吹 不二江(ヤブキ フジエ) |
作者名(英語) | Fujie Yabuki |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/16(時刻)夕方 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月十六日夕刻 母 父 祖母 主人 私 **裏 矢吹不二江 **別紙 昭和二十年八月十六日夕方の事、我が家の父母が帰って来ました。父は海軍服に足にゲートルを巻いて、母は前日空襲にあい着る物も焼けてなく、終戦になり、官舎の黒のカーテンをもらって切り、上衣、モンペイ、帽子を自分で縫ってそれを着て二人玄関に立っておられた。 父は、叔父叔母、又愛犬のお骨をバケツに入れて、唯今帰りましたと差出されたバケツ 勝、田鶴ですと言われて祖母の前に置かれた。原爆の偉力の強さ。其の時、皆な張り詰めていた声が号泣に変わった事は一生忘れられません。 父は当時、呉の広に海軍第十一航廠あり、そこには広島県下の女学生が学徒動員に出ておられ、その全部の舎監長の席にありました。六日、原爆が落ちても中々弟夫婦の所へも行けず、九日休みを取って広島に入り、昔の大手町四丁目を昼まで探したそうです。町の中は焼けあとでとても熱かったそうです。ここと思い玄関前に立った時、犬の散歩に出かけたという姿とくさりがあり、前に犬そして叔父がいたそうです。バケツを拾って来てお骨を入れ、そして昔の勝手と思える所に叔母の姿もあり、それも入れ、熱い中、疲れでぐだぐだになって広に帰ったそうです。そして翌日、挺身隊の学徒の朝会に立ち、広島の惨状を話し、皆泣いておられたそうです。バケツの中も見てもらったそうです。挺身隊におられた方は現在七十二~四才ぐらいの方です。 八月十五日終戦になり、十六日夕刻、二人お骨を持って帰りました。そして八月終り、両親は田舎に帰りました。一ヶ月ぐらい疲れで苦しみました。あの時の暑さは格別だったと申しましたが、祖母もいたせいか、以来、原爆の事は一切口にしませんでした。 これは私が当時二十四才の時の思い出、子孫達にと思い書きました物です。 平成十四年五月 八十一才 矢吹不二江 |
サイズ(cm) | 27.5×24.5 |
展示の説明文 |