トップページ原爆の絵負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。
識別コード | NG103-05 |
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絵の内容 | 負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。 |
作者名(カナ) | 内田 栄一(ウチダ エイイチ) |
作者名(英語) | UCHIDA Eiichi |
当時の年齢 | 20歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/8(時刻)15:00過ぎ |
情景場所 | 芸備線庄原駅の2、3手前の駅 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 昭和二十年八月八日午后三時すぎ 戸坂駅より数百名の被爆者を列車で庄原へ轉送。お化列車は庄原駅の二、三つ手前に停車中にこの少年兵(八月六日に入隊す)の叔母が偶然再会す。 「なにか欲しい物は」・・・「トマトが喰べたい」 だがこの少年は「トマト」口にする事なく逝く トマトが・・・・ **裏 内田榮一 **別紙 昭和二十年五月二十日、広島市基町 広島第一陸軍病院教育隊に衛生兵として入隊。 八月六日、基町兵舎にて朝食の準備中に被爆す。九死に一生を得る。幸に軽傷で衛生兵として、広島、山口県下にて被爆者の救護に看護の任務に励み、十二月上旬、召集解除と成り復員す。 内田栄一 |
サイズ(cm) | 27×38 |
展示の説明文 | トマトを食べたがった少年兵 芸備線庄原駅の2、3手前の駅 1945(昭和20)年8月8日 午後3時過ぎ 内田 栄一氏(原爆投下当時20歳、絵を描いた時77歳) 作者の解説 戸坂駅より数百名の被爆者を列車で庄原へ搬送。列車は庄原駅の2、3つ手前に停車中にこの少年兵(8日6日に入隊する)の叔母が偶然再会す。「なにか欲しい物は」・・・「トマトが食べたい」。だがこの少年はトマトを口にする事なく逝く。 |