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トップページ原爆の絵町内会で焼け跡から死体を収容し荷車や戸板に乗せて火葬するために江波の陸軍射的場に運ぶ。

原爆の絵

識別コード NG087
絵の内容 町内会で焼け跡から死体を収容し荷車や戸板に乗せて火葬するために江波の陸軍射的場に運ぶ。
作者名(カナ) 宗田 勝(ムネタ マサル)
作者名(英語) MUNETA Masaru
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/8(時刻)朝
情景場所 舟入本町~舟入川口町南
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 1,500m~2,200m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **別紙
八月八日、軍部、町内会の連絡に依り、軍隊及び市民の生存者は、焼跡、瓦礫の下敷になっている死人を捜し出し、江波町の陸軍射的場跡にて、すみやかに運搬し焼却して下さい。数十人の軍隊が待機しています。
各町内会長殿
広島県軍令部
絵画は、舟入本町~舟入川口町南より射的場へ。
(荷馬車、…馬のかわりに市民達がリヤカー、格子戸で運搬。
現舟入高校南百米で被爆
宗田 勝 七四才
サイズ(cm) 49.5×57
展示の説明文 死体を火葬場へ運搬する人々
絵・談/宗田勝氏
1945(昭和20)年8月8日朝
爆心地から約1,500~2,200m 舟入本町~舟入川口町
「死体がズルズルして担架に載せることができなかったのです。それで手のひらに縄をまいたわけです。ようやく担架に乗せて死体を運びました。100mぐらいあるいはもっと離れた所から死体を運んだわけですが、何回運んだかわかりません。相当数運んだことは覚えています。」
証言ビデオより抜粋

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