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トップページ原爆の絵黒煙と炎に包まれた市街。傷つき、火傷を負って避難してきた女性や子ども。

原爆の絵

識別コード NG083
絵の内容 黒煙と炎に包まれた市街。傷つき、火傷を負って避難してきた女性や子ども。
作者名(カナ) 松島 要(マツシマ カナメ)
作者名(英語) Kaname Matsushima
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時
情景場所 広島県聾学校
情景場所旧町名 吉島本町
情景場所現町名 吉島東二丁目
爆心地からの距離 2,430m
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 **絵の中
広島市街は黒煙と煙上と火柱など、手をこまねいて見るほかなし
それは悲しみ、うろたえた
あの日は思い出したくなかった。
(吉島本町から)煙る爆心地からなれどその光まで火は、龍の姿に見えました。
被爆電車の黒こげの皆さんです
被ばくし立ったまヽ電車道に黒こげた馬
この下の絵は吉島本町の広島聾唖学校中心です
婦女子が多く次々と避難され人数どれほどか不明
多く人々は傷つき、火傷人が多い来た者皆倒れこんでしまう
次第に水ぶくれる、力弱く小さい声で水を求める、しかし火傷に水は飲ませはいけないという。救護は私たち(倉敷航空広島工場の数人が会社の救急用のやけどに良い白い塗クスリを塗って上げる位いしかできなかった。
今に思えばその時に世話した者5人だけ思い出すが近くの家を借りする。雨洩りひどく青空も見えるが翌年の21年夏まで細々と暮し会社の倒壊した后の見はりをしたのだ。そのときのメンバーは労務課の佐々木千利さん、山野さん、松野木さん、営業の佐々木さんと私(技術の松島要)であった。現在この人、生存し幸せだろうか案じるところなり。
治療する者も少く大変である
涙々の助け人
悲しい死を前にしたことはつらい
多くの人々は露出部分は火ぶくれでひどい。化膿止めの白い薬を塗る。目、鼻見えないぐらい体からウジも出る
H14.5.20.
松島 要(83才)
サイズ(cm) 37.7×53.8
展示の説明文 黒煙と炎に包まれた市街。傷つき、火傷を負って避難してきた人々。皆倒れ込んでしまった。
絵/松島要氏
爆心地から約2,800m 吉島本町(吉島東二丁目)

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