トップページ原爆の絵下り電車の窓の所に立っていた女性。ほとんど裸で着物ともわからないボロボロのものを身につけていた。
識別コード | NG081 |
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絵の内容 | 下り電車の窓の所に立っていた女性。ほとんど裸で着物ともわからないボロボロのものを身につけていた。 |
作者名(カナ) | 堀﨑 イソコ(ホリサキ イソコ) |
作者名(英語) | Isoko Horisaki |
当時の年齢 | 18歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)11:00頃 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 つまらない事ばかり並べてごめんなさい。失礼致します。 失礼致します。二十年八月六日朝八、十五分位だったでしょうかピカドーンと東の向ふで落ちてあれなにゝと大さわぎ人達 私は被服舎で働いていました。 上り電車が上がって十一時頃に、下りの電車の窓口へ女の様な(眞はだかとも、ぼろゝの着物とも分らん人が立って居られたのを一生私は忘れる事は出来ません。 私は平良の学校、お寺の参道でシートの下でねていられる人を見て看護に行っていました。(水をくれゝ水をのましてはいけない) 見るのがつらかったです。体はやけどでぐちゃゝ 夜は頭を並べてづーとねせてある死人の人の中を通って線香をあげに返るゝ行くのが足がふるへるゝ出ました。 毎年八月記念日には参らして戴いています 資料館の皮のむけてさがっている人を見ると涙が止まりません。 私は無事で帰る事が出来ました。母は妹二人で私をさがしに広島へ向ったのですが津田の矢野病院迄歩いて行ったらタンカで(やけどした人を連れて帰られたのを見て、娘がいる行かしてくれゝとバスにのろうとしたが、今広島は火の海だから行ってはいけんとことはられ、泣きゝ帰ったさうですが(今は母もいません) えがうまく書けません。私は元気で帰ったのだからって役場にも言はれたのですが 下手な字ですみません 十八才の時。 (昭和四十一年四月四日に被爆手帳を戴きました。)今七十五才です |
サイズ(cm) | 25×35.4 |
展示の説明文 |