menu

トップページ原爆の絵すでに死亡して紫色に変色した母親の乳房を吸う赤ん坊。

原爆の絵

識別コード NG067-09
絵の内容 すでに死亡して紫色に変色した母親の乳房を吸う赤ん坊。
作者名(カナ) 小林 豊(コバヤシ ユタカ)
作者名(英語) Yutaka Kobayashi
当時の年齢 17歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/7
情景場所 東練兵場
情景場所旧町名 尾長町
情景場所現町名 光町
爆心地からの距離 2,300m
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 **絵の中
S20.8.7.
死した母親の乳を吸う乳児
**別紙(絵裏に貼付)
練兵場のバラック内
**別紙
恐怖の殺人ドウナッツ
昭和二十年八月六日、午前八時十五分、快晴、炎天下の広島に桃色の矢のような光が八方に走った。ピカッ!と光って頭の上より熱気を感じたので、途端に耳を両手でおさえて伏った。その後激しい風が吹いて来た。これこそ将にピカドンである。(小生、耳をおさえていたためドンの音はどうも今になっても記憶がない。)帽子は吹き飛び、カッターは千切れんばかりであった。すさまじい風埃が去って、呆然と立ち上った時に、眼前に見えたのは地上数十メートルのところに朝日か夕日の色をした巨大なドウナッツ型の炎の輪があった。真夏の太陽の射す最中、桃色の閃光といい、ドウナッツの炎と言い、光が見える丈でも大変なものである。私の歩いていた位置は向洋と広島との間で東洋工業より広島寄りの大州橋の上であった。当時は、そのあたりは小さな工場が田園の中に散在していただけで、広島市が一望出来る橋の上で、丁度、広島の方に向って歩いていたので、この瞬時の出来事が目のあたりに見えたのである。私は広島高等学校の一年生、未だ十七歳、学徒動員で日本製鋼所向洋工場で高射砲を作っていたのである。何んでもその日は月曜日ではなかったかと思う。勿論、当時は戦時中のことで、歌の文句の通り、月月火水木金金で休日などなかったが、たまたま電休日で工場は休み、久し振りで広島に行って本でも買い、海草麺でも食べようかと思い、六名の友人とバスを待っていた。一台目が来たが満員でやっと前の三人が乗車出来た。私もデッキにつかまって頑張ったがどうしても乗り切れず降ろされた。次の停留所まで歩いて行き待った。これも満員で木炭車は通り過ぎて行った。仕方なく歩いて行くことに決めた。三人で広島に向けて歩いて行っていると敵機襲来を告げる警戒警報のサイレンが鳴った。空を仰ぎ見ると、丁度、私達の後方上空に銀色に輝くB29戦略爆撃機の翼が広島に向って飛んでいた。一機のみである。その直後、三個の落下傘が降ろされた。日本本土に三人位降りて来てどうするのだろうか、すぐに殺されてしまうのにどうしたもんだろうかと不思議に思って歩いていた。丁度、私達が大州橋の上に来たときB29は広島中心上空に達し、またこちらに向けて旋回して来たと思った瞬間、閃光が走ったのである。地上数十メートルで炎える恐るべきドウナッツは燃焼しつつ、次第に高く上がって、煙に包まれ、三~五百メートル上がったところで、丁度キノコの形となって来た。はっと気がついたら近くの工場からガラスの破片で怪我をした人達が助けを求めて来た。やがて広島からも私達の方に多勢の被災者の群れがシャツは千切れ、髪はやけ、顔はただれ、水ぶくれになり、蓮の葉を日よけがわりにかむって、ぞろぞろと疲れ果ててやって来た。バスで行った三人の友人はどうしただろう、このことが急に心配になって来た。広島の方に助けに行こうと気は焦せったが、とても広島など行けないと人々は言った。被災者の一部を誰れかれとなく私達の寮につれ帰って食用油を塗った。翌日になって広島に三人の友人を探しに出かけた。広島に入ったとたん、道の真中を歩こうと思っても熱気でなかなか通れたものではない。遠回りをして練兵場に行って、焼け残ったバラックを一つずつ尋ねて回った。多数の死者と、虫のいきをしているものがごろごろしていた。一番悲しいものを見たのは、すでに死に絶えて、紫色に変色した母親の乳房を飲んでいた乳児の姿があった。あるバラックに行ったとき、三人の友人がいた。S君、Y君そしてA君がいた。手足や顔は焼け、見るのも気の毒であった。水と握り飯を持って行ったので与えた。少しは飲んだり食べてくれた。担架に乗せトラックにつんで帰る途中S君は死んだ。Y君とA君は連れて帰ったが、体の大部分はやけ、介抱の甲斐なく緑色粘血便を出して三日後に終戦を知らず帝国万歳を叫んで逝って終った。多数の死者はトラックに山と積んで、海田市の土手で油をかけて焼いた。勿論名前も住所もわからない。私達の寮で亡くなった方達も裏山に運んで穴を掘り割木を敷いて焼いた。これは私が見た原爆のほんの一部分である。もう戦争だけはこりごりで、今や軍備がどうとか、核搭載艦がどうとか言っているけれど、核ほど恐しいものはない。
サイズ(cm) 8.6×11.4
展示の説明文

戻る

Page Top